人の心が、信じられないです。

人の心が、信じられないです。(60代)

安邉 泰教(あべ たいきょう)
40代 山口県出身
「信じる」という言葉の裏には「疑う」ということも潜んでいます。

信じていた人に裏切られた、と落ち込むことがあります。そのような経験を繰り返していくと、次第に人の心が信じられなくなるということになるのでしょう。
「信じる」という言葉の裏には「疑う」ということも潜んでいます。「私はあなたのことを信じているよ」と言われた時、「本当にそう思っているのかな…」と疑うことはありませんか?また、信じていると言ってくれた人の期待に応えようと一生懸命に頑張ったけれども期待に応えられなかった時、落胆され、信頼を失うこともあるかもしれません。
「信心」は、浄土真宗ではとても大切にしている言葉です。ここでいう信心とは信じる心ではなく、帰依するという意味合いで使われており、私の意思で仏さまを信じるというよりは、仏さまのお心を素直に聞き、受け止めさせていただくところにあります。
仏さまのお心とは異なり、人の心はコロコロと変わっていきます。信じようとすると、かえって苦しむことにもなるかもしれません。今まで知らなかったその人の一面を見ることができたのだと受け止めることで、少し気持ちが楽になるのではないでしょうか。

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