【多田修の落語寺】「松山鏡」

落語は仏教の説法から始まりました。だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。

松山鏡

 だれも鏡を知らない松山村(架空でしょう)が話の舞台です。ある農家の男が、殿様から褒美をもらうことになりました。「何か望みはないか」と尋ねられると、亡くなった父親に会いたいとのこと。この男は父親にうり二つで、男の今の年齢と、父の行年がほぼ同じ。そこで殿様は立派な箱に鏡を入れ、男にあたえました。男は箱を開けると、父に会えたと大喜び。それからは鏡を見ては父と思い、毎日あいさつしていました。殿様から「だれにも見せるな」と言われていたので、家族には内緒です。その様子を妻が怪しみ、箱を見つけて開けました。妻は鏡に映った自分の姿を見て、夫の愛人と勘違い。夫婦ゲンカが始まります。ある尼さんがこれを見かけて、間に入ります。どうやって収めたでしょうか?
 この落語は、『百喩経』という経典の一節「宝篋の鏡の喩」が元ネタと言われています。鏡に映った自分の姿を見て、他人がいると間違える話です。経典の話は、正しいことを知らないと無いものを「有る」と錯覚して大事なものを失うという教訓です。
 なお、『百喩経』を親しみやすく現代語訳した本『ブッダの小ばなし 超訳・百喩経』を出版しました。ぜひご覧下さい。

(釈徹宗監修、多田修編訳『ブッダの小ばなし 超訳・百喩経』、法蔵館、本体1000円+税

『松山鏡』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚
八代目桂文楽師匠の『NHK落語名人選 八代目桂文楽 松山鏡・かんしゃく・景清』(ポリドール)をご紹介します(今の文楽師匠は九代目です)。文楽師匠は「昭和の名人」の代表的な一人で、「徹底的に練り込まれた芸」と高く評価されています。

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