【多田修の落語寺】「粗忽の釘」

落語は仏教の説法から始まりました。だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。

粗忽の釘

  春先に引っ越しされる方も多いことでしょう。今回は引っ越しの話です。
ある夫婦が、引っ越し先の長屋に荷物を運びます。妻はすぐに、ほうきを掛けたいから壁に釘を打つよう、夫に頼みます。夫は一服したかったのですが、妻からあれこれ指(さし)図(ず)されて頭にきてしまい、腹立ち紛(まぎ)れに8寸(約24cm)の瓦釘を壁に打ち込んでしまいます。長屋の壁は薄いので、釘が隣の部屋に飛び出しているだろうと思って隣に行くと、お仏壇の阿弥陀様から釘が突き出ています。それを見て「大変だ、ここにほうきを掛けに来ないといけない」。 
 人は気にしていることがあると、肝心なことを見落としがちです。それを大げさにすると、この落語のようになります。また、長屋はたいてい狭(せま)いのですが、この長屋の住人はお仏壇を持っています。お仏壇が必需品であった様子がうかがえます。
 「粗忽の釘」のオチは阿弥陀様の釘のところですが、かつての演出ではこのような話が続いていました。引っ越してきた男が、隣の住人から親について聞かれると「あ、前の家に忘れてきた」。隣人があきれていると「酒を飲んだら我を忘れます」。これと似た話が中国の古典『孔(こう)子(し)家(け)語(ご)』にあります。ある人が「物忘れの激しい人がいて、引っ越しの時に妻を忘れてきたらしい」と言うと、孔子は「もっとひどい物忘れがあります。それは、その身を忘れる(自分自身を見失う)ことです」と返しました。

『粗忽の釘』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚
五代目春風亭柳朝師匠の『ビクター落語 五代目春風亭柳朝(2)粗忽の釘/品川心中/やかん』(ビクターエンタテインメント)をご紹介します(今の柳朝師匠は六代目です)。柳朝師匠は江戸っ子らしい歯切れのよい口調で人気でした。このCDでは、元々のオチであった「我を忘れます」まで演じられています。

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