【多田修の落語寺】「愛宕山」

落語は仏教の説法から始まりました。だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。

愛宕山(あたごやま)

今回の落語は、春の行楽に愛宕山へ登る話です。落語の舞台は東京ではなく、京都の愛宕山です。

ある店の主人が京都に出かけ、舞妓(まいこ)や芸妓(げいこ)、さらに幇間(たいこもち)(宴席で客の機嫌をとり、芸を演ずる男性)を引き連れて愛宕山に登ります。山にかわらけ投げ(素焼きの皿を的に向けて投げる、フリスビーのような遊び)の的があり、主人は「これも遊びの味」と、皿の代わりに小判を投げ始めます。幇間の一八(いっぱち)が「もったいない」と止めようとしても、主人はお構いなし。小判を30枚投げ終わってから、「あの小判は投げたのだから、拾った人のものだ」と言います。一八はそれを拾おうと思いましたが、落ちているのは深い谷底。そこで、大きな傘を広げてパラシュートのようにして谷底に舞い降ります。小判30枚を拾い集めたものの、上がる道がありません。その時、一八がしたことは?

落語では触れられていませんが、愛宕山は山岳修行の霊場で、愛宕権現(あたごごんげん)をまつる白雲寺(はくうんじ)がありました(明治初期の神仏分離により、現在は愛宕神社になっています)。愛宕山に登ることは、そこにお参りすることでもあります。この落語で描かれているのは、お参りを兼ねた行楽なのでしょう。かわらけ投げも、本来は厄除(やくよけ)です。参詣が行楽でもあったことが背景にある落語です。

なお、愛宕山に交通機関はありませんので、今でも登るときは徒歩です。落語を聞いて登ろうと思った方、ご注意下さい。

『愛宕山』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚

古今亭菊之丞(ここんていきくのじょう)師匠の『古今亭菊之丞名演集1 たちきり/愛宕山」(ポニーキャニオン)をご紹介します。菊之丞師匠は江戸、京、大坂の言葉を使い分けながら「愛宕山」を演じます。

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