今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公は、渋沢栄一(しぶさわえいいち)(1840~1931)です。2024(令和6)年に発行される新しい一万円札の顔になることが決まっていますから、ご存知の方も多いでしょう。
渋沢栄一は「日本資本主義の父」と呼ばれ、実業家として有名ですが、教育や社会事業にも協力してきました。その背景には儒教の教えがありました。
宗教の理念をもって経営にあたり、事業に成功した実業家は少なくありません。東京大学名誉教授で経済史学者の土屋喬雄(つちやたかお)(1896~1988)は「渋沢栄一は孔孟(こうもう)(孔子と孟子)の教えを、森村市左衛門(もりむらいちざえもん)はキリストの精神を、伊藤忠兵衛(いとうちゅうべえ)は釈迦の心をそれぞれ事業経営のよりどころとした」と語っています。
そこで今回は、渋沢栄一の経営の理念と宗教について見ていきましょう。
日本資本主義の父・渋沢栄一と儒教
渋沢栄一は1840(天保11)年、現在の埼玉県深谷(ふかや)市に生まれました。実家は農業や養蚕などを手がける豪農(富裕農家)でした。子どもの頃から『論語』などの漢籍を習い、剣術も学んでいました。
青年期は幕末の動乱期にあたっており、武士になっていた渋沢(江戸時代は身分制度の社会ですが、このように農家出身で武士になる例がありました)は将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)に仕えることとなりました。それを通して海外に事情に通じ、国力を支える経済力の重要性を知りました。
渋沢の能力は明治政府からも注目され、経済や財政の政策に関わっていました。
しかし、大久保利通(おおくぼとしみち)などとの方針の違いから1873(明治6)年に政府の仕事を辞め、第一国立銀行(「国立」とついているが民営。現・みずほ銀行)の総監役となります。その後も実業界で活躍し、今でも有名な多くの会社の設立に関わっています。
渋沢は経済だけでなく教育にも力を入れ、多くの学校の設立に関わっています。その主なものとして、商法講習所(しょうほうこうしゅうじょ)(現・一橋(ひとつばし)大学)、大倉(おおくら)商業学校(現・東京経済大学)、東京女学館、日本女子大学校(現・日本女子大学)があります。
さらに、さまざまな社会事業にも協力しています。
1872(明治5)年に設立された福祉団体、東京市養育院(よういくいん)(現・東京都健康長寿医療センター)の初代院長を務め、1877(明治10)年設立の博愛社(はくあいしゃ)(現・日本赤十字社)にも協力してきました。
商才を養うのは道徳
渋沢は、実業家として成功してきたのですが、それだけではなく、教育や社会事業にも熱心でした。その背景には、「ビジネスには道徳が必要だ」という信念がありました。その信念は、儒教にもとづいていました。渋沢の著作『論語と算盤』に、次の一節があります。
道徳上の書物と商才とは何の関係が無いようであるけれども、その商才というものも、もともと道徳をもって根底としたものであって、道徳と離れた不道徳、欺瞞(ぎまん)、浮華(ふか)、軽佻(けいちょう)の商才は、いわゆる小才子(こざいし)、小悧口(こりこう)であって、決して真の商才ではない。ゆえに商才は道徳と離るべからざるものとすれば、道徳の書たる論語によって養える訳(わけ)である。
ビジネスで成功しても、道徳がなければ「商売の才能がある」とは言えない、その道徳を養うのは『論語』である、だから『論語』によって商才を養えると述べています。これは、信用の大切さを説いていると言ってよいでしょう。道徳を守ることで信用され、信用されるからビジネスが順調になる、ということです。
さらに、築いた富を社会事業に使うことは、成功した者の義務であると説いています。
如何に自ら苦心して築いた富にした所で、富はすなわち、自己一人(いちにん)の専有だと思うのは大いなる見当違いである。要するに、人はただ一人(ひとり)のみにては何事もなし得るものでない。国家社会の助けによって自らも利し、安全に生存するもできるので、もし国家社会がなかったならば、何人(なんぴと)たりとも満足にこの世に立つことは不可能であろう。これを思えば、富の度を増せば増すほど、社会の助力を受けている訳だから、この恩恵に酬ゆるに、救済事業をもってするがごときは、むしろ当然の義務で、できる限り社会のために助力しなければならぬ筈と思う。
築いた富は、社会から得たものである。だから、貧しい人への支援など、社会のために使うのはむしろ当然である。
これが、渋沢の考えでした。当時は「怠け者を助ける必要はない」と言う人が少なくありませんでした。しかし、渋沢は違いました。貧しいゆえに養育院で福祉を受けている人について「その多くはいわゆる自業自得の輩(はい)である。しかしながら、彼らを自業自得の者なりとして、同情をもって臨まぬは甚だよろしくない。(中略)仁愛の念に富まねばならぬ。」と、貧しさが自業自得だとしても、思いやりを持って接しなければならないと述べています。
渋沢はビジネスに成功しました。その目的は、国全体を富ませることでした。その目的があったから、道徳の大切さを訴え、教育や社会事業に力を入れたのでしょう。
【参考文献】
『論語と算盤』(角川ソフィア文庫)
木村昌人編『現代語訳 ベスト・オブ・渋沢栄一』(NHK出版)
渋沢研究会編『はじめての渋沢栄一 探求の道しるべ』(ミネルヴァ書房)