特定の宗教に属さない。そんな人が多いこの時代に、なぜ僧侶という道を選んだのか。その行動に自身を駆り立てた「エンジン」は何だったのか。浄土真宗本願寺派の僧侶の人々に、フォーカスして、「僧侶になった理由」を紐解きます。
今回ご紹介するのは、築地本願寺に僧侶として勤める岩清水成海(いわしみず・なるみ)さんです。和歌山県で僧侶・布教使(ふきょうし:浄土真宗のお話をするための専門資格)として活躍する母の背中を見て育った彼女が、僧侶を目指した理由や、僧侶になって日々感じていることを伺いました。
「16歳になったら僧侶に」と教えられた幼少期
岩清水 ありきたりかもしれませんが、生まれた家がお寺で、小さいころから大きくなったら僧侶になるのは当たり前だと考えていました。「あなたが実家のお寺を継ぐ、継がないは関係なく、16歳になったら僧侶になるための研修(得度)を受けるよ」と母親からずっと聞かされていました。
甘えたがりだった子ども時代
――小さい頃はどのような子どもでしたか?
岩清水 幼いころは甘えたがりだったと思います。3歳ぐらいのころ、夜中にふと目を覚ますと隣に寝ていたはずの母がおらず、寂しすぎて家中を探し回り、挙句の果てには玄関を出て泣きながら「お母さ~ん」と何度も叫んだのを今でも覚えています(母は結局どこにも行っておらず、最初からずっと隣で寝ていたそうです……)。
あと、たまに「自分は死んだらどうなるんやろう」と考えて怖くなって、よく母に泣きついていたのも覚えています。
母のような布教使にと決めた大学時代
――実際にお坊さんの資格を取ってみて、いかがでしたか?
岩清水 僧侶になったのは高校1年生の時ですが、当時は恥ずかしながら浄土真宗のみ教えについて詳しいとは言えませんでした。現在も日々勉強ではありますが……。
もともと宗教学や倫理学に興味があったこともあり、大学は地元の和歌山大学に進学し、主に宗教学、キリスト教について学んでいました。母が布教使として活躍する姿を見て、「自身も母のように布教使になりたいな」と思うようになったのもこの頃です。
――本格的に仏教について勉強しはじめたのはいつですか?
岩清水 大学4回生の時に、小学1年生のころからずっと一緒だった愛猫のみーちゃんを亡くし、改めて自分の生死のとらえ方と向き合うようになりました。そのとき、自分に身近な浄土真宗の教えを学びたいと思い、大学卒業後は京都の中央仏教学院(浄土真宗の教えを学ぶ専門学校)に1年間通いました。
浄土真宗の教えを学び始めると、「布教使になりたい」という思いがさらに強くなりましたね。
ーーそこで「布教使になりたい」という想いに、エンジンがかかったのですね。
岩清水 そうですね。そして、中央仏教学院を卒業後、布教使の資格を取るための伝道院という学校に入所しました。感染症の影響もあり、実家からのオンライン受講となりましたが、なんとか試験に合格し、今年の5月に布教使の資格を取りました。
オンライン受講ということもあって自由な時間が多かったので、この時期に巡讃(じゅんさん:本山のお内陣でお勤めするための資格)と式嘆(しきたん:読み物の資格)も取得しました。そして今は上京して、宗務員として築地本願寺で勤務しております。
――「お坊さんになる」、あるいは「お坊さんになった」と言ったときの周囲の反応は?
岩清水 友人はみんな私の家がお寺ということを知っていたのでお坊さんになると言ったときは特に反応はありませんでした。大学やバイト先で新しく知り合う人に「実はお坊さんやねん」と言うとびっくりされましたね。
僧侶になって、より一層生死に向き合うようになった
――お坊さんになってよかったことは?
岩清水 自分の生死により向かい合うことができるようになったことですね。
あとは、一人暮らしをするようになって気づいたことですが、僧侶になって布教使資格を取ったことで、母との会話が増えたなと思います。今でもよく母に電話しては、お坊さんあるある話で盛り上がったり、法話のアドバイスをしてもらったりしています。
学生時代、合唱とアカペラをしていたので、お経を読むのも楽しいです。実はお経や読み物にも、歌のように決まった音階や読み方があるので、歌うのが好きな人はハマるかもしれません。
――お坊さんになって大変なことは?
岩清水 とにかく正座を長時間するのが大変です。お坊さんがみんな正座に強いと思ったら大間違いです。
将来は、お経を読むのが上手な布教使に!
――築地本願寺の好きなところは?
岩清水 同期はもちろん、全体的に仲良しなのが楽しいです。先輩にも気さくな方が多くてお話するのがとても楽しいです。おしゃべりしていると時間を忘れ、お昼休みが一瞬で終わります。
――将来、どんなことをしたいですか?
岩清水 将来は母と同じく、お経を読むのも上手な布教使として活躍したいです!
頑張ってくださいね