【意外と知らない仏教語④】「無事」の本来の意味は「変わりがない」ではなかった?

普段何気なく使っている言葉が、実は仏教に由来する「仏教語」だということを知っている方は意外と少ないのではな いでしょうか。暮らしの中にとけ込んでいる「仏教語」の代表的な言葉をクイズ形式でご紹介します。

Q:「堂々めぐり(どうどうめぐり)」の仏教的な由来は?

【選択肢】

①祈願のために仏堂の周りのぐるぐる回ること

②話が一向に進呈しない寄り合いの様子

③お堂をたくさん巡って、お参りすること

【解説】同じことをいつまでも繰り返し、一向に話が進展しないことを「話が堂々めぐりしている」と言います。もともと堂々めぐりとは、祈願や儀式のために、仏様や仏堂の周りをまわることでした。お堂の周りをぐるぐるまわっていたのが、やがて、「ぐるぐるまわる」という意味だけが強くなり、現在は良くない意味合いの言葉として使われています。

【答えは、①】

Q:「無事(ぶじ)」の仏教的な由来は?

【選択肢】

①傷ひとつない状態

②精神的なこだわりを持たず、わずらいのない状態

③仏さまに何事もないことを感謝している状態

【解説】「無事」は、元来仏教語で、精神的になすべきわずらいのない状態を意図し、こだわりがなく、障りのない心の状態を指す言葉でした。『臨済録』にある「無事是貴人(ぶじこれきにん)」とは、常識的な思考や分別に基づいて悟りを求めることをせず、ただ人間本来の姿に徹したそのままの人こそ尊ぶべき人、を意味します。

現在では、「無事に暮らしています」「全員、無事で帰りました」など、変わったことのない、つつがないことを示す言葉として、無事は日常的に使われています。何も無かったということは有り難きこと、安穏であることは幸せなこと。無事の対語は「有事」です から、無事は大切にしたいものです。

【答えは②】

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