名前には物事を区別するはたらきがあります。例えば「キャベツ」と「レタス」は別の野菜をさしますし、「佐藤さん」と「山田さん」とは別の人をさします。しかし、名前の意味はそれだけにとどまるものではありません。名前にはさまざまな思いが込められています。人生の中で折に触れて名前の意味・由来を意識することはないでしょうか。時には名前が生きる力となることもあるでしょう。「法名」も名前のひとつです。歴史や意味を知り、法名について学びましょう。
知っておきたい法名のQ&A
Q 法名とはなんですか?
A 法名とは仏弟子・仏教徒として名告(なの)る「釋(しゃく)○○」という名前です。「法」とは仏教における真理をさし、浄土真宗では「阿弥陀如来のはたらき」を表わします。「仏さまにおまかせをして生きる念仏者の名告り」が浄土真宗の法名です。
Q 戒名とはどう違うんですか?
A 戒名とは、厳格な規律(戒律)を守って仏道修行する人びとが名告る名前です。浄土真宗における法名とは「戒律をひとつも守ることができずに苦悩する者を、かならず救い、浄土へ迎える」という阿弥陀如来のはたらきにおまかせして生きる念仏者が名告る名前です。
Q 法名はいつもらうものですか?
A 亡くなってから法名をいただく人が多いことから「法名=亡くなった方の名前」と思われがちです。しかし、阿弥陀如来のはたらきは今を生きる私たちに向けられているものです。そのことを自覚し念仏者としての日々を歩むためにも、法名は生前にいただくことが望ましいです。
Q 法名はどうすればもらえますか?
A 法名は、基本的に京都・西本願寺で毎日執り行われている「帰敬式(ききょうしき)」を受式して西本願寺ご住職(ご門主)からいただきます。「帰敬式」は築地本願寺でも開催しています。ただし、帰敬式を受けずに亡くなられた場合は、所属寺の住職から法名をいただきます。
法名の起源 ~仏弟子の自覚~
「釋○○」という名告りが仏さまの弟子を意味するようになったのは、中国仏教の基礎を築いた出家僧・道安(314 〜385年)が起源とされます。
中国には、紀元前後にインドから仏教が伝播しました。道安以前の出家者は、名前の上に善知識(ぜんぢしき)(師匠)の「姓」を付けることが多くありました。その「姓」は出身地を意味することがほとんどであったようです。
ところが、道安は師の姓を名告らず、「釋道安」と名告りました。「大師(だいし)のもとは釈迦(しゃか)[牟尼仏(むにぶつ)]より尊きはない」という理由からです。つまり「師の弟子である」という自覚以上に、「その師が帰依するお釈迦さま(釈尊)の弟子である」という自覚から、「釋道安」と名告ったのです。この「釋」をもって「釋氏(仏教徒)」であることを名告る習慣が中国で広まり、日本でも継承されることになりました。
ちなみに、この自覚は浄土真宗でも大切にされています。浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は「弟子一人ももたず候ふ」とおっしゃっていたと伝えられています(『歎異抄(たんにしょう)』)。聖人にとっては、念仏を申す者はすべて「自分の弟子」ではなく、「お釈迦さまの弟子である」ということです。
法名と仏教の教え ~仏教の平等思想~
浄土真宗の法名は一般的に「釋○○」と、「釋」の下に2文字の法名をつけます。この内、「釋」は姓にあたるものです。
釋道安が起源とされるこの形式は、「お釈迦さまの弟子である」という自覚と同時に、お釈迦さまの教えそのものに由来しています。
「アナヴァタプタ」という泉から「①ガンガー」「②シンドゥ」「③ヴァクシュ」「④シーター」の四つの大河が海へと流れ出している。
それらは海に流れ込むと、もとの名はなくなり、ただ「海」と呼ばれる。
同様に「①クシャトリヤ」「②バラモン」「③ヴァイシャ」「④シュードラ」の四つの身分があるが、釈尊のもとで出家し、教えを学ぶ者となれば、元の身分がなくなり、釈尊の弟子というだけになる。
なぜなら私(釈尊)と教え(法)によって生まれた者だからである。
(『増一阿含経』巻二十一、取意)
文章中に出てくる4つの大河は、インドの身分制度の譬たとえです。インドには古来、厳しい身分制度(四姓制度)が社会に定着し、生活のすべてのことを規定してきました。宗教についても例外ではなく、身分の低い者は、宗教儀礼に関与することが許されませんでした。
対して仏教では、あらゆる身分の者に出家が許されました。また、いったん海に流れ出た水を「これはガンガー河の水だ」と呼べないように、教団内では、出自によって差別されることがありませんでした。このお釈迦さまの平等思想を承けて、現在の法名の形があります。
道安当時の中国は、封建制度の色濃い社会であり、姓はしばしば社会的な身分をも意味しました。そこで、出家者の姓を「釈尊」の「釈(釋)」に統一し、仏教の平等思想を示そうとしたのです。
ところで、「釋道安」「釋親鸞」のように「釋」の下が2文字なのはなぜでしょうか。
『西遊記』に登場する「孫悟空」は、「孫」が姓で「悟空」が名前です。中国では「姓1文字」「名前2文字」が伝統的に多かったようです。2文字の法名は、この習慣に由来しています。ということは「名前2文字」に限定する必要はないように思われます。
しかし、文字数が自由で2文字以上が認められた場合、世俗の価値観が入り込み、「長い法名が良い」などとされることでしょう。「釋○○」という2文字の形を守っていくことにも、お釈迦さまの平等の教えを継承していくという重要な意味があるのです。
法名と戒名
「ほかの宗派では戒名(日蓮宗では法号)と言うのに、なぜ浄土真宗は法名?」と疑問を持つ人は多いのではないでしょうか。
「戒名」は「戒律を守って自力の功徳を積んで、さとりを開こうとするものに与えられる名」です。対して「法名」は「阿弥陀如来の教えに出遇って、南無阿弥陀仏のお念仏ひとつで救われていくことを喜ぶ者に与えられる名」です。
また、「戒名」の「戒」とは、「戒律」の「戒」です。お釈迦さまが亡くなって、永きを経た時代を生きる私たちは、戒律を守ることは大変困難です。日常生活の食事ひとつをとってみても、生き物の命を奪っています。それだけではなく、「あの人さえいなくなってくれれば……」と、自分に都合の悪い人を心の中で何人傷つけたことでしょう。その事実を反省することもありません。「生き物を殺さない」という「不殺生戒」のひとつも守れないのが私の真実のすがたではないでしょうか。
法名とはそうした私たちを照らす「法」を表わす名前です。自身の生涯や功績を表わすものではありません。法名をいただくということは、仏教徒、それも念仏者として今を生きる証、あるいは生きてきた証なのです。
~帰敬式について~
「法名」は、自らで勝手に名告るものではありません。生前に西本願寺や築地本願寺にて、帰敬式を受式し、西本願寺ご住職(ご門主)からいただきます。もしも生前に帰敬式を受けずに亡くなられた場合は、所属する一般寺院のご住職から法名をいただきます。
帰敬式とは、阿弥陀如来・親鸞聖人の御前で浄土真宗の門徒としての自覚をあらたにし、お念仏申す日暮らしを送ることを誓う、私たちにとって大切な儀式です。この帰敬式を受式され、仏弟子となった方には法名が授与されます。帰敬式を受式し、共にお念仏を喜ぶ人生を歩みましょう。
築地本願寺の帰敬式は、築地本願寺倶楽部会員・築地本願寺護持講員・護持講家族講員・浄土真宗本願寺派寺院のご門徒が受式することができます。