夜空

【法話】「鬼滅の刃」から教わる夢と現実 お坊さんが読み解く仏教的アニメ考察

理想と現実のはざまで悩むのが人間

突然ですが、皆さまは「夢」を見ますか? 私はよく見ます。夢は面白いもので、理想の世界(幸せな夢)を見せてくれるときがあります。

先日、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』のアニメ映画を見ました。『鬼滅の刃』をご存じない方のために、簡単に説明いたします。

主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)(以下、炭治郎)は人間を襲う鬼によって家族を失い、さらに妹(以下、禰豆子(ねずこ))が鬼になってしまいます。禰豆子を人間に戻す為に、元凶である鬼舞辻(きぶつじ)という鬼を倒すべく、追いかける物語です。

その『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の映画で、炭治郎は魘夢(えんむ)という名の「眠り鬼」と戦います。その鬼は幸せな夢や悪い夢を自由に見せる力を持っており、一度眠らされた人は夢から簡単には抜け出すことはできず、夢を見ている間に、倒されてしまうのです。

炭治郎は鬼に眠らされ、幸せな夢を見ます。その夢は鬼になる前の禰豆子や亡くなったはずの母や弟たちといった家族と幸せに暮らすものでした。途中、彼は夢の中にいるのだと気づき、夢から出る出口を探します。夢の中にいる家族を残し、現実に戻るために炭治郎は以下のセリフを言いながら立ち去ります。

「ここに居たいなぁ、ずっと。振り返って戻りたいなぁ。本当なら……ずっとこうして暮らせていたはずなんだ。ここで。本当ならみんな今も元気で本当なら。本当なら。でももう俺は失った。戻ることはできない。ごめんなぁ、もう一緒にはいられないんだよ。だけどいつだって兄ちゃんはお前のことを想っているから。みんなのことを想っているから。たくさんありがとうと思うよ。たくさんごめんと思うよ。忘れることなんて無い。どんな時も心は傍にいる。だからどうか許してくれ」

『劇場版「鬼滅の刃(きめつのやいば)」無限列車編(むげんれっしゃへん)』の映画より引用

炭治郎は理想的な世界を夢に見ましたが、なんとか現実の世界へ戻ることができました。このように夢というのは、自分の思い描く世界を見せてくれることがあります。目が覚めたときはこれが現実かと悲しい気持ちになることもありますし、幸せな夢を見ているのに起こされたときには腹が立つこともあります(笑)。私たち人間はどこまでも理想を追い求め、現実とのギャップに苦しんで生きています。

「亡くなった人に会いたい」という想いに寄り添う

私も炭治郎のように、亡くなった家族に会いたいと思うことがあります。それは大好きだった祖母です。だから炭治郎のように「ここ(夢)にいたい」という気持ちは凄くわかります。だって一番大切に想っていた人に会えたのですから。しかし祖母には会えないのが現実です。これはとても辛いことです。

阿弥陀(あみだ)さまという仏さまは、そんな私のために、また会える世界をご用意してくださいました。浄土真宗がよりどころとする仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)には「倶会一処(くえいっしょ)」と説かれています。これは「ともにまた一つの場所(お浄土)で会う」という意味です。

祖母とこの世界ではもう会えません。しかし、わたしがこの世界で命終える際、阿弥陀さまのはたらきによって、お浄土で同じ仏(ほとけ)として出会わせていただく教えです。限りある人生の中、私は祖母と再び会える世界に生まれていく命であり、私の「祖母に会いたい」という想いに寄り添ってくださるお言葉にであったように感じます。

「祖母に会いたい」と思う気持ちが縁となり、いまここで阿弥陀さまのことを考えているのだと思うと、「祖母の死は阿弥陀さまと出遇うための尊いはたらきの一つだったんだな」とも感じます。大切な故人を偲び、掌(てのひら)を合わす中に、感謝と後悔のない人生を送りたいものです。それがお念仏( 南無阿弥陀仏)をいただいたものの人生だと思います。

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