築地本願寺新報で毎月連載中の「あっち、こっち、どっち?」エッセイスト酒井順子さんがお届けします。
オリンピックはなぜ人の心を捉えるのか
様々な議論がなされながらも開催された、東京オリンピック。始まってしまえば、コロナストレスから逃げるかのように、テレビで観戦を楽しむ日が続きました。
オリンピックがなぜ、多くの人々の心を捉えるのかといえば、そこでは「勝負がつく」からでしょう。世界最高峰の技と力を持つ人達が集結し、ナンバーワンを決める。頂点に立つことができた人も、そうでなかった人も涙を流し、喜んだり悔しがったりするその様が、普段なかなか感情を爆発させることなどない我々にはグッとくるのです。
近代オリンピックの父とされるクーベルタン男爵は、
「参加することに意義がある」
と言ったのではなかったっけ、という話もありましょう。それはクーベルタン男爵のオリジナルの言葉ではなく、他の人が言った言葉を引用して、
「勝つことより、参加することに意義がある」
と言ったのだそうですが、当初から勝利至上主義は否定されていた。
だというのに今、オリンピックが勝負の世界の最高峰のように捉えられていることは、クーベルタン男爵も嘆きそうですが、しかしもしもオリンピックから勝負という要素を除いたら、今のような人気イベントにはならなかったに違いありません。皆で仲良くジョギングをしたり、球を打ち合ったりするだけであれば、それは単なるレジャー。人が限界まで頑張って自分の可能性を追求するのは、「勝ちたい」「頂点に立ちたい」という気持ちがあってこそではないか。
とある競技でオリンピックに出場したことがある知人がいるのですが、アスリートOB・OGの世界においては、オリンピックにただ出ただけでは駄目なのだ、とその人は言っていました。競技団体や国際機関での発言に重みをもたらすのはメダルであり、それも銅より銀、銀より金なのだ、と。
勝利が持つ力の大きさを改めて実感するのですが、しかし我々は、負けることもまた人生にとって重要であると知っています。敗北の経験は、「なにくそ」と頑張るきっかけとなったり、はたまた他人の痛みへの理解につながったりするもの。負けた人の姿が、勝利に我を忘れる人の姿よりも美しいことも、しばしばあるのです。
しかし東京オリンピックでは、勝者も敗者も同じように美しく見える競技があって、それがスケートボードでした。今回から始まった新種目で、ストリートとパークという二種目があるのですが、どちらの種目においても、選手達は素晴らしい滑りをした人を皆で称え、失敗した人は皆で慰めてそのトライを賞賛していました。元々がそのような文化を持つスポーツなのだそうで、結果、皆が生き生きと競技に参加していたのです。
もちろん競技なので、選手達は内心では大きな喜びや悲しみを抱えていたでしょう。それを選手達はよく知っているから、ギラギラしたライバル関係でなく、互いに敬意を払い、賞賛し合うのではないか。
開催については賛否両論があった、東京オリンピック。しかし、スケートボードのような世界を知ることができたのは、今回の大きな収穫の一つでした。スポーツといっても、色々あるものなのだなぁ。……と、クーベルタン男爵もきっと、驚いていることと思います。