【松本智量のようこそ、仏教シネマへ】「東京クルド」

Welcome, to a Buddhist movie.
「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な映画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。

第65回映画「東京クルド」
日向史有監督 2021年日本作品

 東京で15年以上暮らしながら難民申請を続けるオザンとラマザン。2人のクルド人青年を追ったドキュメンタリー。傑作です。必見です。上映中。

 迫害を受けるおそれから故国を逃れ出た者の保護を目的とした難民条約へ、日本は1981年に批准(ひじゅん)しています。しかし日本政府は難民に極めて冷淡です。難民申請者は年間1万人いるのに対して認定されるのは40人程度。却下された者の多くは在留資格を得られず、就労は許されず、生活保護も受けられず、健康保険も適用されず、居住も制限されます。

 では、そんな人びとはどんな暮らしをして、何を思っているのか。オザンは6歳の時に来日。義務教育を終えてからはアルバイトで生活費を得ていますが、在留資格なしで希望が奪われる中、自分は無価値だとさいなまれる日々です。ラマザンが来日したのは9歳。定時制高校を卒業後、通訳を夢見て専門学校への進学を希望しますが、在留資格がないために入学を断られ続けます。通訳を諦め、次の望みだった自動車整備学校への入学を果たしたラマザンは、日本国に対して、「在留特別許可」を認めるよう裁判を起こしました。

 難民を排除することで、この国は何を守ろうとしているのか。何かを守る代償として、失ってしまっているものに目を閉ざしていないか。作品中にみられる出入国管理庁(入管)職員の、ぞんざいかつ尊大な態度に接し、親鸞聖人の次の言葉が響きます。「慚(ざん)は内に自ら羞恥(しゅうち)す、愧(ぎ)は発露(ほつろ)して人に向かう。慚は人に羞(は)ず、愧は天に羞ず。これを慚愧(ざんぎ)と名づく。無慚愧は名づけて人とせず」

 恥知らずは人でなし。入管職員に対して以上に、この状況を看過している者への言葉です。

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