【多田修の落語寺】「後生鰻」

落語は仏教の説法から始まりました。
だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。
このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。

演題 後生鰻(ごしょううなぎ)

 ある隠いん居(いんきょ)さんは信心深く、殺生(せっしょう)を嫌(きら)っています。その隠居さんが鰻(うなぎ)屋の前を通ると、主人が鰻をさばこうとしているところ。隠居さんが「それは殺生だ」と止めようとすると、主人は商売だと説明します。隠居さんはその鰻を買い取って川に放し、「いい功徳(くどく)を積んだ」。これが何日も続き、店はこの隠居さんのおかげでかなり稼(かせ)げるようになりました。ところがある日、隠居さんが来ても店に鰻がありません。そこで主人はとっさにあるものを代わりにし、隠居さんはそれを川に放りこみます(何を放ったかは伏(ふ)せますが、かなりのブラックユーモアです)。

 隠居さんの動機は「殺生から救おう」でした。それは正しいことです。でも、その結果はよいものだったのでしょうか? 鰻屋の主人が収入を得ようとするのは当然ですが、鰻の代わりは何でもよかったのでしょうか? この落語に限ったことではありません。ものごとが正しいかどうかを、一つの基準だけで決めるのは、ある意味簡単です。しかし、一つの「正しさ」を突き詰めようとすると、かえって大きな悪事になりやすくなります。悪を小さく収めるために必要なのは、正しさの基準を複数備えておくことなのでしょう。

 ところで、土用丑(どよううし)の日は「う」のつく物を食べて精をつけるのであって、鰻でなくても梅干し、瓜(うり)(スイカ、キュウリなど)、うどんなどもよいそうです。

『後生鰻』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚

五代目古今亭志ん生(ここんていしんしょう)師匠のCD「NHK落語名人選82古今亭志ん生 稽古屋/後生鰻/らくだ/巌流島」(ポリドール)をご紹介します。志ん生師匠は「昭和の名人」の代表的な一人で、ブラックユーモアも陽気に感じさせます。

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