お寺のダイバーシティってどんなもの?前編

近年、耳にする機会が増えた「ダイバーシティ(Diversity)」という言葉。これは、日本語で「多様性」を意味し、性別や年齢、人種や国籍などいかなる属性があろうとも、誰一人差別されることなく、尊重される社会をめざすという考え方です。築地本願寺ではダイバーシティの概念を実践すべく、数多くの取り組みを行っています。なぜ、浄土真宗のお寺でダイバーシティを推進するのか。また、具体的にどのような取り組みを行っているかについて、前後編でご紹介します。

Q お寺でダイバーシティを推進する理由を教えてください。

 浄土真宗の教えの根本には、「いのちあるもの、誰一人ももらさずに救う」という阿弥陀さまの願い(本願)があります。それを受けて、私たち築地本願寺が所属する浄土真宗本願寺派では「阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝え、もって自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する」という考え方を掲げています。これは「どんな人でも平等な権利を持つ」というダイバーシティの考え方と重なる部分が非常に多いです。

 そもそも浄土真宗自体が、一部の貴族や豪族など特権階級のための宗教だった仏教を、鎌倉時代に「一般の人々にも門戸を開くべきだ」と親鸞聖人が考えたことから生まれました。浄土真宗では、身分などに関わらずに、誰でも念仏を称となえ、信心に預れば救われるという教えが伝わっているのは、そのためです。また、より多くの人の生活にまなざしを向けるために、親鸞聖人をはじめ、これまでの僧侶たちが一般の人々に交じって在家の生活を送るのも、浄土真宗の特徴だと言えるでしょう。

Q 仏教でダイバーシティの考えに近い教えには、どんなものがあるのでしょうか?

 仏教では「おだやかな笑顔と思いやりのある話し方で人と接する」という「和顔愛語(わげんあいご)」の実践を大切にしています。これは、人を区別せず、誰にでも平等に接するというダイバーシティの精神と大きく重なる部分がありますね。

 最近、本願寺派で使われ始めているのが「一緒性(いっしょせい)」という言葉です。浄土真宗の特色を表わす新しい使い方ですが、お坊さんだけではなく、多くの人々と「一緒に行う」。また、「一緒に生きることが大切だ」と考えているからこそ。人と共に生きることで、他を認めて共感する機会が増えていきます。他を知らないと、人は「自分さえよければいい」という考えに陥りやすくなります。しかし、そうした考えを持つ人ばかりになってしまったら、世の中は破滅してしまいます。持続可能な社会を作るためにも、「他の価値観を受け入れる」という考えを、浄土真宗では大切にしています。

 「和顔愛語」と「一緒性」という二つの言葉を例にしましたが、仏教、浄土真宗の教えは、「誰一人も差別せず、多様性を認め合う」というダイバーシティと親和性があると私は思っています。

Q 仏さまの前では、人間は誰もが区別されない平等な存在である……ということでしょうか?

 浄土真宗の特色のひとつは、仏さまの前では、どんな人であっても一緒であり、性別や人種、国籍などで区別しない点だと思います。仏さまから見れば、お坊さんも一般人も同じような存在です。

 お坊さんになるための研修で聞かされたのは、「お寺が病院ならば、ときどき病院に来られる通院患者が一般の方で、より重篤な入院患者がお坊さん。あなたです」というもの。「仏さまからすれば、お坊さんを志すあなたは一般の方々よりも目を離したら何をするかわからない。だからこそ、常に仏さまの近くであるお寺にいて、自らを律する存在なのだと自覚しなければならない」と教えられるのです。

 私自身、龍谷大学時代の担任の先生であり、後に龍谷大学学長になられた恩師の赤松徹眞先生から教えていただいたある言葉があります。赤松先生がおっしゃるには、「お坊さんは上座などに座らせていただく機会も多いけれども、『自分が偉いのだ』と勘違いしてはいけない。世の中にはいろんなお寺はあるけれども、大切なのは、浄土真宗の教えを喜んでもらい、一人でも多くのご縁を結ぶお坊さんになることだ」と。この言葉は、今でも忘れることなく、ずっと自分の心に刻み付けています。

Q ダイバーシティ推進の中でも、男女平等や男女共同参画は重要な課題になっています。浄土真宗や築地本願寺において、これらの施策は進んでいるのでしょうか。

 まず、阿弥陀さまのみ教えでは、生きとし生けるものをすべて救いたいという願いがあるので、浄土真宗では、その人の属性によって区別をするべきではないという考え方があります。

 たとえば、法名にもその考え方は現れています。浄土真宗における法名は、「釋〇〇」です。以前、女性の法名には「釋尼〇〇」と「尼」という漢字を入れるのが一般的でした。でも、20年ほど前に「性別の違いによって、法名にわざわざ『尼』とつけるのはおかしいのでは」という議論が上がり、それ以来、「尼」という漢字は使わず、性別による区別はなくなっています。

 僧侶に関しては、男性僧侶が多いものの、女性僧侶も決して少なくはありません。今年4月に京都の桂にある本願寺西山別院では初めての女性の輪番(お寺の代表役員)も誕生しました。さらに、以前は「夫が住職で、妻が坊守(ぼうもり)」という風潮が強かったのですが、最近では、性別にこだわらず、女性が住職で男性が坊守というお寺も誕生しています。ただ、依然として、女性の住職が少ないことは、今後の課題のひとつだとも思います。

 なお、築地本願寺における女性職員の割合は、全体の3割ほどで、一般的なお寺に比べると女性比率は高い傾向にあります。一方、今後改善していきたいのは、女性管理職を増やしていくことです。これまで、築地本願寺に女性管理職がいなかった理由は、「特別な僧侶の資格を持たないと管理職になれない」「女性僧侶は結婚してしばらく経つと、退職してご自身のお寺に戻ることが多い」などという背景があったためです。しかし、来年4月からは制度が見直され、僧侶資格に関係なく管理職の登用も可能になる予定です。こうした制度の改革によって、女性管理職を増やしていければと考えています。

後編では築地本願寺の具体的な取り組みについてご紹介します。

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