聖徳太子のさまざまな業績と、浄土真宗のつながりに迫ります。
聖徳太子の多くの業績
今年は聖徳太子1400回忌に当たります。聖徳太子には、日本の仏教史上における多くの業績が伝えられています。たとえば、法隆寺など複数の寺院を建立し、『十七条憲法』第二条で「篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬(うやま)ふ。三宝とは仏・法・僧なり」と説き、『法華経(ほけきょう)』『維摩経(ゆいまきょう)』『勝鬘経(しょうまんぎょう)』の註釈『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』を著し、「世間虚仮唯仏是真(せけんこけゆいぶつぜしん)」(世間は虚仮(こけ)なり、唯仏のみ是れ真なり)という言葉を残しています。そのため、聖徳太子は宗派の枠を超えて敬われてきました。
聖徳太子と親鸞聖人
聖徳太子は、親鸞聖人とも縁が深いのです。親鸞聖人が29歳の時、夢に聖徳太子が現れ、お告げを示しました。親鸞聖人はそれをきっかけにして、法然聖人の門下に入りました。言うなれば、聖徳太子が親鸞聖人を法然聖人のもとに導いたことになります。
さらに親鸞聖人の晩年の著述には、聖徳太子に関するものが多くあります。その一つとして、『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』に収められた「皇太子聖徳奉讃(こうたいししょうとくほうさん)」があります。これは聖徳太子を讃える和讃11首からなっていて、そこに次の1首があります。
和国(わこく)の教主聖徳皇(きょうしゅしょうとくおう) 広大恩徳謝(こうだいおんどくしゃ)しがたし 一心(いっしん)に帰命(きみょう)したてまつり 奉讃不退(ほうさんふたい)ならしめよ
仏教で「教主」と言った場合、通常はお釈迦さまのことです。その言葉を聖徳太子に当てています。親鸞聖人が聖徳太子をどれほど尊敬されていたか、おわかりいただけるでしょう。そのため、浄土真宗の寺院では聖徳太子の像が安置されています。お参りの際、ご覧になってください。
聖徳太子に謎が多いのはなぜ?
聖徳太子にはさまざまな話が伝えられていますが、実像は不明な点が少なくありません。これは、聖徳太子に限ったことではありません。古代史については同時代の記録が乏しく、かなり後の時代に作られた史料によるところが大きいため、「こうであった」と断定しがたいからです。そのため極端なことを言えば、自説に都合のいい記録だけをつまみ食いし、それ以外を「後世の作り話」と切り捨てることが可能です。「聖徳太子はいなかった」という説が出ることがあるのは、そのためです。なお、かつては親鸞聖人についても「架空の人物だ」という説がありましたが、その後の研究により実在が確認されています。