【あっち、こっち、どっち?】リアルとデジタル

築地本願寺新報で毎月連載中の「あっち、こっち、どっち?」エッセイスト酒井順子さんがお届けします。

コロナがもたらしたリアルとデジタル世界の分離とは

 会社員の友人が、
「明日はリアル会議があるから、会社に行かなくちゃならない」
と言っていました。リモート会議が多い昨今ではあるけれど、たまに実際に顔を合わせて会議をすることもあり、それを「リアル会議」とか「実会議」と言っているのだ、と。

 コロナ時代となって、様々な行動がネットを通して行われるようになっています。会議以外でも、飲み会であれコンサートであれ、リモートでも可能であることを、そしてリモートにはリモートの良さもあるということを、我々は発見したのです。

 コロナ以前も、デジタル化が進んだことによって、生活の様々な分野でリアル世界とネット上の世界の分離は進んでいました。たとえば私が生きる本の世界においては、ポチッとするだけで欲しい本が家に届くという便利さもあって、ネット書店がおおいに躍進。結果、昔は単に「書店」と言われていたお店は、「実書店」と言われるようになったのです。

 それまでは単なる「電話」と言われていたものが、携帯電話の登場で「固定電話」とか「家電(いえでん)」と言われるようになった時、私はそこはかとない哀愁を感じたものです。同じように「実書店」との名もまた、私をしんみりとさせました。出版社によっては電子書籍の売り上げが紙の本を上回ったという話もあり、実書店で売られる紙の本の運命やいかに、と思わざるを得ない。

 ネット社会にどっぷりと浸っている若者たちの場合は、ネットの中で二次元キャラクターへの恋情を育む、といった行為も目立つようです。実体のない相手と恋愛することなど、可能なのだろうか……と、人間相手の恋愛しかしたことがない私は思いますが、今やその手の感覚を抱くことができる人が、少し羨ましいような気も。そのうち、人間相手の恋愛は「実恋愛」とか「人間恋愛」などと言われる時代が来るのかもしれません。

 手で触れることができ、温度や匂いも感じることができるリアルな事物と、手で触れることも、温度や匂いを感じることはできないけれど視覚・聴覚ではしっかり伝わるネットを通じての事物がまだらに存在する今。「人とは実際に会ってナンボ」「本は紙に限る」というリアル至上主義と、その手の人を横目で見つつ、ネットを通じて何でもこなすネット派との分断も進んでいます。

 しかし、リアル派には人間味があってネット派はそうではない、と言うことはできないのでしょう。実際に人と会って話しても、心が通じ合わないことはいくらでもあります。対してネット上でしか付き合いはないのに、というよりネット上のみの付き合いであるからこそ、相手に対して胸襟を開くことができる場合もあるのですから。

 インターネットなど存在しなかった時代、我々は実際に見たもの、触れられるものでないと信じられない、という感覚を抱きがちでした。リアル世界の外へと想像力をはばたかせることは、なかなか難しかったのです。

 しかしコロナによってさらに進んだネット社会で我々は、実物を見て触ることができない世界の中にも信じられるものはある、という感覚を育まれた気がしてなりません。昔は、「この世」と「あの世」しかなかったけれど、「この世」が分かれて登場した「ネットの世」は、私たちのものの見方をだいぶ、変化させているようです。

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