【多田修の落語寺】「小言念仏(こごとねんぶつ)」

落語は仏教の説法から始まりました。
だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。
このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。

演題 小言念仏(こごとねんぶつ)

 ある家の主人、毎朝お仏壇にお参りしています。今朝もお念仏を称(とな)えていますが、称えながら家族へ次々に文句を言います。「なむあみだぶ、なむあみだぶ、おーい、お仏壇を掃除しておけ、ほこりだらけじゃないか。花の水も取り替えておけ。なむあみだぶ、なむあみだぶ……」、子どもが登校の支度をしていると「早く学校に行けー! なむあみだぶ、なむあみだぶ……ったく、お念仏に身が入らないじゃないか」。それでも称え続けていると、家の前をドジョウ屋が通ります(昔は住宅街などに出向いて商品を売る出商人(であきんど)がよくいました)。それを呼び止めようとして「なむあみだー!」、お仏壇に向かって「ドジョウ屋、ドジョウ屋……」。

 この落語には、毎朝お念仏を称える習慣が一般的だった様子が描かれています。さて、念仏とはもともと「仏さまの姿を心に念じること」です。それをするには高度な精神集中が必要なので、それをできない人のために、仏さまは「南無阿弥陀仏」と口で称える念仏も用意されました(区別のため、前者を「観想(かんそう)念仏」、後者を「称名(しょうみょう)念仏」と呼びます)。これが意味するのは、「集中はなかなか続かない。いろいろなことが気になってしまう」ということです。それを大げさに表現すると、この落語のようになります。

 仏さまは、私たちの集中力がどの程度か、お見通しです。だから、さまざまな道を用意されています。

『小言念仏』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚

柳家喜多八(やなぎやきたはち)師匠の「喜多八膝栗毛 だくだく/小言念仏/猫の災難」(日本コロムビア)を紹介します。喜多八師匠は落語通からの評価が高く、独特の雰囲気で聞く人を落語の世界に引き込みます。

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