【松本智量のようこそ、仏教シネマへ】「雨月物語」

Welcome, to a Buddhist movie.
「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な映画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。

「雨月物語」溝口健二監督 1953 年作品

 第14回ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞作。溝口監督の代表作にして、映画史に残る普遍的名作です。

 時代は羽柴秀吉が勢力を伸ばしている戦国時代。陶工の源十郎と、その義弟の藤兵衛が主人公です。源十郎は妻子と温かな家庭を営んでいますが、もっと儲けて豊かな暮らしをしたいと目論んでいます。藤兵衛は、貧しい農家暮らしを脱して侍になりたいと夢見ながら妻にたしなめられています。

 源十郎と藤兵衛が町で店を出すと、陶器は飛ぶように売れていきました。源十郎は客として訪れた女性・若狭の屋敷に招かれ、そのまま魅力に溺れてしまいます。藤兵衛は陶器の売上で槍鎧一式をしつらえ、武士の列に加わり、図らずも手柄をあげます。

 源十郎と藤兵衛は、財欲、色欲、名誉欲、自らの望むそれぞれの最上級を手にしました。若狭と戯れ「天国だ」とつぶやく源十郎。家来を従え、馬上で満悦の藤兵衛。欲望に 身をまかせた二人の裏で、それぞれの妻は 過酷な境遇を強いられていたのです。

 作品中、何回か「南無阿弥陀仏」と念仏が称えられます。ある時は野盗や落武者に命を奪われたものへの追悼として。ある時は取り憑いた死霊を退散させる呪文として。しかし、浄土真宗の立場からは、念仏は私の口を通して響く仏さまからの呼びかけです。そのこころは、物語のラストで源十郎へ語りかけられるこの声そのまま。

 「私は死んではおりません。私はあなたのそばにおります。あなたの迷いももう消えました。本来の場所で本来の姿に戻るのです。さあ、早くお仕事を」

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