【多田修の落語寺】「お見立て」

落語は仏教の説法から始まりました。
だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。
このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。

演題 お見立て

 お墓参りの話です。吉原に来た客が、お気に入りの花魁(おいらん)・喜瀬川(きせがわ)に会わせるよう、店の若い衆(し/男性従業員)の喜助に頼みました。客は、自分と喜瀬川は特別の仲で、いずれ夫婦になると勝手に思っています。でも喜瀬川はその客がきらいなので、病気で入院していると伝えるよう、喜助に言いつけます。そう言えば客が帰ると思ったら、「病院はどこだ、お見舞いさせろ」。それを知った喜瀬川は、「病気はウソで、実は死んだ」と伝えさせます。これで引きあげると思ったら、「墓参りしたい、寺はどこだ」。喜助はとっさに、近所の寺町の名前を出します。すると客は「近くだから案内しろ」と、喜助を連れ出します。もちろん喜瀬川の墓はないので、無関係な墓を「喜瀬川のお墓」とごまかそうとするのですが……。

 さて、9月のお彼岸には、多くの方がお墓参りされるでしょう。お墓参りは、何のためにするのでしょうか?「亡き人に会うため」という答えが多そうですね。この世での命が終わっても、関係まで終わるわけではありません。関係のあり方が変わるのです。生きていてもいなくても、コミュニケーションは大事です。

 ただし、お墓は亡き人を偲ぶ場所ではあっても、亡き人がいる所ではありません。亡き人は、この世を離れた仏の世界にいます。亡き人がいる世界にも、思いを馳はせたいものです。

『お見立て』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚

古今亭志朝(ここんていしんちょう)師匠の「朝日名人会ライヴシリーズ1 古今亭志ん朝1 お見立て・火焔太鼓」(SonyMusicDirect)を紹介します。志ん朝師匠の落語は端正で、江戸の粋(いき)を感じさせ、正統派として高く評価されています。

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