【松本智量のようこそ、仏教シネマへ】「スポットライト 世紀のスクープ」

Welcome, to a Buddhist movie.
「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な映画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。

映画「スポットライト 世紀のスクープ」
トム・マッカーシー監督 2015 年アメリカ作品

 わずか20年前にアメリカで起きた実話を元にした作品。他国のこと、他宗教のことと他人事ですませられない重い問いを突きつけてきます。

 日刊紙「ボストン・グローブ」の新編集長となったバロンは、地元カトリック教会の神父が信者の子どもへ性的虐待をした事件に注目します。取材を進めると、それは決して例外的なケースではなく、教会内での加害者も被害者も膨大な数に上ることが見えてきました。被害者の多くは大人になっても苦しみ続けています。

 バロンは調査チームを組み、事件の全貌を報じようとするのですが、さまざまな障壁がそれを拒みます。事件がこれまで明るみに出ず、加害者たちが罪を問われなかったのは、カトリック教会が権威による情報支配をしていたことに加え、地元の人びとが事件に薄々気付きながらも教会を擁護したからだったのです。コミュニティの中心として。

 事件を追い、関係者を問いつめた果てに記者はこうつぶやきます。
「じゃあ、俺たちは? 俺たちは何をやっていた? 見逃したのは、俺だ……」

 事件はこれまで小さな記事で報じられることもあったのです。しかしそのすべてがその後うやむやにされていました。記者たちは真実を暴く英雄ではなく、失敗に促された悔悟者でした。

 スポットライトは、対象を照らします。同時に、対象以外の周囲を闇に隠します。教会が輝き、地域の安寧が輝く外側に、見逃される苦痛の人びとがいました。何かを見ていることは即ち、他の何かを見落とすことに他ならないという自覚は常に持ち続けておきましょう。

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