戦争の思い出
夏の盛りに寒い話で恐縮ですが、今から15年ほど前、お盆の法要の時に84才になるご門徒の総代さんから戦争中のお話をうかがいました。毎年、お盆の頃になると、その総代さんがご報謝された親鸞聖人の銅像や、鐘楼門を仰ぎながら、熱心にご聴聞をなさっておられた在りし日の面影を懐かしく思い出します。
昭和16年、その総代さんが18、19才の時、召集令状が届いて、陸軍第十六師団に入隊することになりました。入隊直後に、800人の入隊者全員に作文が課されました。作文のタイトルは、「何のために生まれてきたのか」でした。お国のために自らの命を捧げて戦うために、よき死に場所を求めるために生まれてきたのだ、これが当時の模範解答であったことでしょう。
真っ直ぐに歩めない私
その総代さんが書かれた文章は、見事、入賞作品として張り出されました。
真すぐかれと
心つくして 歩めども
見て恥ずかしき
雪の道かな
雪国ご出身の方は、よくおわかりいただけるかと思います。総代さんが生まれ育ったのは、日本海から押し寄せる寒気が中国山地にぶつかるあたり、広島県北の豪雪地帯です。一晩で何10センチも降り積もります。一歩、二歩もやっとです。ようやく公道まで出て、後ろを振り返ります。
真っ直ぐに歩んでいこうと、心をつくして歩むのだけれど、後から振り返ってみると、右に曲がり、左に曲がり、前に転び、後ろに転び、歩みが定まりません。しかし、どんなに曲がり、どんなに転んでも、その曲がりや転びを支えている大地があります。
私が生まれてきた訳は
「ああ、私の人生の歩みも、お恥ずかしい歩みの連続であったなあ」
「しかし、そのおぼつかない歩みの中で、いつでもどこでも私を支えて止まない仏さまの願いと働きがあったなあ」
さだまさしさんの『いのちの理由』という歌の歌詞に、「私が生まれてきた訳は、愛しいあなたに出会うため」とあります。曲がってもよし、転んでもよし。それは、決して居直るわけではなく、曲がるしかない私だから、転ぶしかない私だから、そういう「……しかない私」であればこそ、「見て恥ずかしき」歩みの中に、「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」の働きに抱(いだ)かれた「おかげさまの人生」が開かれてくるのであり、「必ず、必ず、一つところへまいりあう」べき世界が開かれてくるのでありましょう。
お盆のこの時期、仏さまの願いの中に生きぬかれた方々を偲びつつ、お念仏をよろこばせていただきたいと思います。