Welcome, to a Buddhist movie.
「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な映画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。
西川美和監督 2021年日本作品
正信偈にある「悉能摧破有無見(しつのうざいはうむけん/ことごとく、よく有無の見をくだきこわす)」という一文は、「有無の見」=「これはこれ、と自分が一旦下した判断」に囚われがちなお前だぞとの厳しい指摘と私は頂いています。それを日常の上での巧妙な応用問題として示してくれているのが西川美和監督です。
正邪・清濁・好醜・善悪など、誰しもが内に隠し持つ二面性を暴きつつ、それを決して断罪することのない懐の深さを誇る西川作品。最新の今作でも、黒白つけるなどとてもできない、さまざまなグレーが交錯する人びとの今が、静かに切り取られています。
主人公・三上正夫(役所広司)は、情に厚くて困った人を見過ごせません。しかし直情径行により殺人事件さえ起こし、人生の大半を刑務所で過ごします。刑期を終え、十数年ぶりに戻ってきた一般社会に三上の居場所はあるのか…。
元受刑者に対する世間の許容性の狭さに苛立つ三上に、貧困、貧困ビジネス、外国人労働者、障害者、老人介護、虐待、震災、暴力団対策法など現代日本の諸課題が、さりげなく関わってきます。その中で三上は次第に、世間と折り合いを付けながら感情を抑制させることを学びます。しかしそれは彼の身体にダメージを蓄積させることでもありました。
この映画、ハッピーエンドではありません。かと言ってバッドエンドでもありません。エンドがないのです。ここに登場した各シーンがそのまま、私たちの社会につながって続いています。「すばらしき世界」は続くのです。縁の中にいる我われですから。