同じ蓮華の上に生まれたい
テレビの時代劇などで、よく悪者同士が仲間割れして、自分だけが捕らえられそうになると、仲間やまわりの者に[こうなりゃ一蓮托生だ]などと語る場面があります。みなも同罪だ、運命をともにするぞ、という意味でしょう。
一蓮托生とは、死後、極楽浄土で同じ蓮華(れんげ)の上に生まれることを指しています。
同じ信心で結ばれている人たち、夫婦、友人などが、来世に極楽浄土で一緒に暮らそうと願うときの言葉です。
また、この言葉は江戸時代の心中(しんじゅう)にもよく使われました。封建時代の社会の束縛にあって、この世で結ばれぬ恋人同士が、来世こそ添い遂げようと願うときなどに使われる言葉のようです。
それが、いつしか、善悪に関係なく、運命をともにする意味に用いられるようになりました。