修行苦に屈して心が退くこと
退屈といえば、何もすることがなく、ひまをもてあますことを意味する言葉として、日常よく使われています。あくびの一つも出そうな情景です。退屈しのぎという言葉もあります。
しかし、退屈は、もともと仏教語で、仏道修行の苦しさや難しさに屈して、仏道を求める心が退き、精進(しょうじん)努力する心を失うことを意味しました。
菩薩(ぼさつ)の修行中にも、退屈に遭遇する場合(三退屈)があります。
①悟りを求めるのは広大深遠であると聞いて起こす退屈
②布施(ふせ)の万行はきわめて修し難いと聞いて起こす退屈
③悟りの妙果は証し難いと聞いて起こす退屈
で、これらを対治(たいじ)するのを三錬磨(れんま)といいます。
そこから、くたびれて気力がおとろえること、畏い縮すること、困りはてることなどの意味になり、さらに転じて、倦怠の意となり、ひまをもてあますことになりました。
説明がややこしくて、 退屈しましたか。