私たちが知らない、世界の花まつり

私たちが知らない、世界の花まつり

 4月8日は、お釈迦さまの誕生日をお祝いする「花まつり」。12月25日のイエスさまのお誕生日は国民的行事になっていますが、お釈迦さまのお誕生日もぜひお祝いしましょう。

 花や緑が美しい季節です。大切な人との出会いを感謝しお祝いするには、最適の日ではないでしょうか。この日は、お寺に足を運ぶと、右手を挙げている小さなお釈迦さまの像が、水が張られたお盆のような器の中に立っているのを見かけます。

 器の中にあるのは、実は甘茶。これは、お釈迦さまが生まれた時、龍が喜びのあまり天から甘露をかけて産湯にしたという伝説に基づいています。訪れる人は、その甘茶をお釈迦さまにかけて、その誕生を祝います。

 さて、お釈迦さまの誕生日は、国によってお祝いの仕方もさまざま。今回は、スリランカと韓国を覗いてみましょう。

満月の日にお釈迦様の三大祭りを一度に開催ースリランカ

 陰暦2月(太陽暦の5月頃)の満月の日。スリランカやタイ、ミャンマーなど、南アジアや東南アジアで広く信仰されているテラワーダ仏教では、お釈迦さまの誕生と、悟りを開かれたことと、亡くなられたのを全て同じ日に記念して、「ウェサック」と呼ばれる特別な行事が行われます。

 スリランカでは、2020年は5月7日。この日と翌日の2日間が祝日となります。

 ウェサックが近づくと、クードゥ(ランタン)が家の軒先や店先に飾られ、町中が彩られます。またお寺や広場に飾られる電光イルミネーションでは、『ジャータカ物語』の一場面が映し出されるのも一興。お布施の功徳として無料で食事を提供するお寺もあり、多くの人が並びます。

 また仏教説話が描かれた綺麗なカードが本屋さんやスーパーに並ぶのも、この時期。大切な人や友人知人に送るのは、クリスマスカードの影響もあるとか。クードゥは日本の提灯が起源だといわれています。昔、イギリスの植民地下にあったスリランカでは仏教復興運動が盛り上がり、その時に日本の仏教とスリランカの仏教の間で交流が盛んに行われたほど、日本との関係も深いみたいですね。

 2019年は、ちょうどウェサックの1カ月ほど前に首都コロンボで連続爆弾事件が起きたため、ウェサック前の華やかな雰囲気に陰りが漂ったそうです。店先にカードが並ばず、無料の食事提供も無かったとか。しかし夜になるとランタンが飾られライトアップした場所が多く見られて、辛い時期を過ごした市民は励まされたことでしょう。

4月8日は花ちょうちんが街を彩るー韓国

 日本と同じく大乗仏教が広まっている韓国では、やはり日本と同じ4月8日をお釈迦さまの誕生日として祝います。

 ただし、旧暦なのでほぼ1カ月遅れ。しかも国民の祝日に制定され、宗教を越えて祝う1日です。仏さまへの供養するもののひとつに灯り(ロウソクや提灯)があることから、提灯を飾ってお祝いするようになり「燃燈会(ねんとうえ)」と呼ばれています。

 たとえばソウルでは、精進料理や紙花作りなどの伝統文化が体験できるブースが開かれ、お寺では無料の食事が提供されるなど、あちらこちらでさまざまな催しが開かれます。

 しかし、なんといっても圧巻なのは、動物や多様なキャラクターをかたどった巨大な提灯が乗せられた山車や、提灯を片手にした行列が練り歩く夜のパレードです。

 お寺の境内には提灯によるアーケードができるなど、燃灯会は日中から見所満載。これを目当てにしたツアーが企画されるほどです。

お誕生日のお祝いの仕方

 日本では誕生日を迎えた人が、プレゼントをもらうなどお祝いしてもらいますが、他の国では必ずしもそうとは限りません。

 以前、ミャンマーの孤児院を訪ねたとき、ご近所の家族が来て、孤児院の子どもたちにご馳走をふるまっていたことがありました。そのご家庭の娘さんがお誕生日を迎えたからです。

 ミャンマーの誕生日は、この世に生を受けたことに感謝して、功徳を積む日なのです。この習慣は、お隣のタイにもあります。誕生日の祝い方もさまざま。今年も誕生日を迎えられてありがとう、という思いを分かち合うのも素敵な過ごし方ですよね。

 お釈迦さまのお誕生日の日に、宗教にかかわらず町中が盛り上がるのも、素敵なお祝いの仕方です。日本ではまさにクリスマスがそういう雰囲気です。4月8日も、宗教や違いを越えて、慈しみ合う日にしたいですね。

「花まつり」の起源

 私たちにとって、現在身近な「花まつり」は、仏教では「灌仏会」と呼ばれている行事です。いつから、そしてどうして、「灌仏会」が「花まつり」と呼ばれるようになったのか。ドイツ・デュッセルドルフの惠光寺に在籍経験がある、浄土真宗本願寺派僧侶の江田智昭さんにひも解いてもらいました。

最初の「花まつり」はドイツで開催されていた

 お釈迦さまの誕生を祝う法要は古くから一般的に「灌仏会」と呼ばれてきました。日本書紀には606(推古天皇14)年の4月に灌仏会が元興寺で催されたと記されており、これが日本最古の記録となっています。

 この灌仏会が「花まつり」と呼ばれるようになったのは実はそれほど古くありません。日本で初めて行われた「花まつり」は、1916(大正5)年4月8日に真宗大谷派僧侶の安藤嶺丸(あんどうれいがん)が中心となって東京の日比谷公園で催されたと言われています。

 当日の朝日新聞には「花まつり」に関する広告が大きく掲載され、日比谷公園には多くの人々が集まったそうです。これが日本最初の「花まつり」ですが、実はそれより以前に日本人によって開催された「花まつり」がありました。

 1901(明治34)年4月8日、当時ドイツに留学していた真宗大谷派僧侶の近角常観(ちかずみじょうかん)を中心とした18人の日本人が発起人となって、ベルリンで仏陀生誕を祝う“BlumenFest(ブルーメン・フェスト)”という催しが開かれていたのです。ドイツ語の“ブルーメン・フェスト”を日本語に訳すとまさに「花まつり」となります。

 財団法人国際仏教文化協会『ヨーロッパに広がるお念仏』によると、この会には300人以上のドイツ人が参加して大いに盛り上がり、後にこのニュースが日本に伝えられ、「灌仏会」を日本でも「花まつり」と呼ぶようになったそうです。

なぜ、「灌仏会」だけ「花まつり」になったのか

 お釈迦さまの誕生日の「花まつり」という言葉がドイツ語の“ブルーメン・フェスト”に由来していたとは大きな驚きです。仏教の法要行事は「彼岸会(ひがんえ)」、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」、「成道会(じょうどうえ)」、「涅槃会(ねはんえ)」など一般的に最後に「会(え)」という言葉が付きますが、現在では「灌仏会」のみ「花まつり」の名称が使用されています。

 神社等の祭礼に用いられる「まつり」という言葉が仏教行事の「灌仏会」の際に使われるようになったのは、おそらくドイツ語の“Fest(フェスト)”を翻訳したためになったのでしょう。詳しく調べてみると、1901年のベルリンの“ブルーメン・フェスト”の発起人である18名は錚々(そうそう)たる面々でした。

 一番の中心人物は近角常観だったようですが、他に薗田宗恵(そのだしゅうえ)(浄土真宗本願寺派僧侶)、美濃部達吉(みのべたつきち)(憲法学者)、姉崎正治(あねさきまさはる)(宗教学者)、芳賀矢一(はがやいち)(国文学者)、巌谷小波(いわやさざなみ)(児童文学者)らが名を連ねていました。

誰が「花まつり」と名づけたのか?

 ちなみにベルリンでの催しが初めての「花まつり」であるならば、この会に“ブルーメン・フェスト”と名付けた当時の発起人が「花まつり」の最初の命名者となります。

 2004(平成16)年4月1日の『仏教タイムス』紙の中で発起人・薗田宗恵の子孫の薗田香勲(そのだこうくん)は「児童文学者の巌谷小波が“ブルーメン・フェスト”と命名したのではないか」と答えていました。

 巌谷小波が書き残した『小波洋行土産(さざなみようこうみやげ)』の中にはベルリンで開催された“ブルーメン・フェスト”の詳細が記されています。

 それによると、当日はベルリンのホテル四季館の会場に金屏風を立てて、誕生仏を安置し、花を並べたとあり、開始1時間後には参加者で満員となったようです。

 お伽話(とぎばなし)の分野の開拓者として広く知られる巌谷小波は『花祭』というタイトルのお伽話を創作し、会場で余興として朗読を行ったともありました。その内容はお釈迦様の誕生を椿(つばき)とつつじの姉妹の花が中心となって多くの花がお祝いするというものであり、まさに「花まつり」の由来を語るものになっています。

 このことから巌谷小波が「花まつり(ブルーメン・フェスト)」の命名者であることはおそらく間違いないでしょう。多くの人々は「花まつり」という名称が長らく用いられていたと思っているかもしれませんが、歴史には意外な死角が存在します。「花まつり」はまさにその一つであり、実はドイツ発祥とも言うことができるのです。

著者 :私たちが知らない、世界の花まつり

著者 :「花まつり」の起源

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