お釈迦さまのさとり
4月8日はお釈迦さまのお誕生日です。紀元前5世紀頃、古代インドの釈迦族にお生まれになったゴータマ・シッダールタ王子は、お釈迦さまと呼び慕われました。
シッダールタ王子は、保証された身分や生活の全てを捨て去り、出家しました。老・病・死という耐えがたい人生の苦しみが、「なぜ起こり、どうしたら解決出来るのか」ということ一つを求めたのでした。
そしてその原因は、外から悪魔がもたらすようなものではなく、自分の内から来るものであったことを見抜き、それを超えたさとりの境地へ至り、ブッダ(目覚めた方)となりました。35歳のことでした。
変わらないものはない
さとりの内容の一つは、諸行無常です。それは変化し続けている“私”であることを意味しています。
「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが、半年、あるいは一年ほど会わずにいれば、分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて、お変わりありまくりなのである。
『生物と無生物のあいだ』(講談社学術文庫、著:分子生物学者福岡伸一)より引用
お釈迦さまは、最先端の科学にも通じることを、2500年も前におっしゃっていたのでした。
"私"という実体は…ない
さとりの内容の二つ目は、諸法無我です。諸行無常であるが故に“私”という実体がないことを意味します。
皆さんが自分の写真を一枚選ぶ法話としたら、違和感ない程度になるべく若いものを選びませんか。ここだけの話、この筆者紹介写真は十年前のもの。最近の写真を見ると、老けていると思うからです……。理想の私と現実の私。理想ばかりを求めることを迷いと言います。
私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということ
『生物と無生物のあいだ』(講談社学術文庫、著:分子生物学者福岡伸一)より引用
絶えず変化し続ける私。でもそれを認めたくない私。そこには、現実の私が抜け落ちていました。
時空を超えて
さとりの内容の三つ目は、涅槃寂静です。涅槃とは、迷いの私を離れたところに、永遠なる安らかな境地があることを意味します。以上の3つを仏教の根本教説、三法印と言います。
私たちの御本尊である阿弥陀如来は、お釈迦さまをさとりへと導かれた仏さまです。お釈迦さまは、その阿弥陀如来のお救いを説かれました。そして時間も空間も超えて、この私にはたらきかけて下さいます。
生まれた者の定め、老・病・死。決して避けられぬ愛しい方との死別。耐えがたい喪失感に「生きている意味などない」と悩み苦しむことは誰にでもあるでしょう。阿弥陀如来は、喜びも悲しみも、楽しいことも辛いこともある、私のすべてをそのままに抱き取ってくださいます。「あなたの命は変化するまま、あるがままに光り輝いている、かけがいのないものです」と。
是非そのお救いを、法話を通じて聞かせていただきましょう。