夕には白骨となれる身なり
夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身(み)なり 私たちは、いつか必ず命を終える時がやってきます。人の命には限りがあり、自分の思い通りにはなりません。この現実に苦悩する私たちも、阿弥陀さまの願いを聞かせていただく…
夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身(み)なり 私たちは、いつか必ず命を終える時がやってきます。人の命には限りがあり、自分の思い通りにはなりません。この現実に苦悩する私たちも、阿弥陀さまの願いを聞かせていただく…
生きていると、壁にぶつかることがあります。前に進めず、まるで暗雲に心が覆われたような気持ちになってしまいます。でも見方を変えれば、壁は越えるべき試練かもしれません。雲は光を遮ることもあれば、照らされてそれ自体が輝くこ…
私たちは貪りや怒りに執われ、大河に阻まれるように前に進めなくなることがあります。そのような私たちにも一筋の道が開かれます。「必ず救う、われにまかせよ」と願う阿弥陀如来がご用意くださる道を、ただひたすらに歩ませていただ…
自分だけが正しい、相手が間違っている、そんな考え方に執われてしまうと、相手との対立が生まれてしまうものです。仏さまは、正しさや間違いへの執われを離れたものごとのありのままのすがたを示し、対立のない穏やかで心地よい世界…
お墓やお仏壇の前で手を合わせる時、亡き人に語りかけることがあるでしょう。 亡き人は、やさしくじっと聴いてくれている気がします。 亡き人は「仏」となられて私のことを案じ、阿弥陀如来とともに私たちに寄り添ってくださってい…
他力本願という言葉は、しばしば「自分の望みを他人まかせにする」という意味で用いられます。 しかし、本来は他人の力ではなく、「あなたの苦悩は私が引き受ける、まかせよ」という阿弥陀さまの願い(本願)を表す言葉です。 生き…
諸行無常とは、すべてのものはうつり変わりゆく、という仏教の真理を表す言葉のひとつです。私たちは今のままでいたい、今あるものを失いたくない、などと、変化を拒む気持ちを持ってしまいがちです。 お釈迦様は、その執着が苦しみを生…
京都にある本山・西本願寺の飛地境内建物である日野誕生院は、承安 3(1173)年に親鸞聖人がお生まれになった地と伝えられています。 本年 4 月、築地本願寺では親鸞聖人御誕生 850 年・立教開宗 800 年慶讃法要をお…
阿弥陀さまが、すべての者を安らかにしたいと願い、長い時間をかけてご苦労を重ねてくださったのは、この私のためであったと喜ばれたお言葉です。 その願いは、南無阿弥陀仏のお念仏として届けられ、安心という名の灯火(ともしび)…
仏教では、全てのいのちは生まれ変わり死に変わりを繰り返すと説きます。 いのちのつながりの中で、時には親子、時には兄弟と関係を変えながら、いまの私が存在しているのです。 もしかすると今すれ違ったあの人も、過去あるいは未来…
本年、2024年・令和6年に、築地本願寺では、 「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗 800年慶讃法要」が修行されます。 殊に、親鸞聖人が 5 2 歳のときに、「顕浄土真実教行証文類」(教行信証)を著されたことをもって、…
これは親鸞聖人が過去からの計り知れない因縁の上で阿弥陀さまの救いに出遇えたことを慶ばれたお言葉です。 私たちが生きるこの世界は、すべてのことが様々な関係の上に成り立つ世界であり、当たり前のことは何一つ存在しません。 …
京都にある本山・西本願寺の飛地境内建物である角坊は、親鸞聖人が亡くなられた善法坊の跡地と伝えられています。 親鸞聖人は、阿弥陀さまのお救いに出遇い、そのお心を浄土真宗としてお示しくださいました。 報恩講は、親鸞聖人…
日々の生活の中で、どうすることもできない困難に直面したとき、真っ暗な闇の中に一人ぼっちでいるような感覚に襲われます。 右も左もどこへ行けばいいのかさえも分からない 大きな不安の闇の中で彷徨う私。そんな私を決して見捨…
「他力本願」と聞くと、他人任せのように感じませんか? 阿弥陀さまは、この私の苦悩をすべて引き受けようと誓われた仏さまです。 そのことに気づかせようと、南無阿弥陀仏という声の仏となり、私が申すお念仏を通して様々にはた…
このお言葉は、親鸞聖人が門弟に宛てたお手紙の一節です。私たちは、死という先の見えない不安を抱えて苦悩します。 その不安を除くため、私が往くべき安らかな世界をご用意くださったのが、阿弥陀という仏さまです。 今生での別れは…
仏教やお坊さんと聞くと、煩悩をなくそうと修行しているイメージが浮かびますか? 浄土真宗では修行をしないといけない!とはいいません。 なぜなら阿弥陀さまは頑張っても煩悩をなくすことが出来ないこの私をめあてとして、命のいく先…
親鸞聖人は阿弥陀さまの想いが全て詰め込まれたお念仏こそ、我が人生の歩む道が示されていて、我が人生のよりどころであるとおっしゃいました。 日々抱えているいろんな想いを時には阿弥陀さまの前で話してみませんか? うんうんと聞い…
1181年の春、当時9歳の親鸞聖人はお得度をされました。 もう夜も遅いから得度式は明日にしようという周りの方の声に対し、一晩で嵐が吹いて桜が散ってしまうかのように、いつ何が起こるかわからないので今得度式をしたいと決意され…
このお言葉は親鸞聖人が正信念仏偈の中で著された一節です。 阿弥陀様はどんな時でもこの私を包み、支えてくださるというお心を表してくださっています。 嬉しい時も、落ち込んでいる時も、その一つ一つを引き受け照らし続けてくださる…