面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり(高杉晋作)
面白いと思えることのない世の中を面白く。それを決めるのは自分の心もち次第だ楽しいと思うかどうかは自分の心の持ち方次第で決まる
面白いと思えることのない世の中を面白く。それを決めるのは自分の心もち次第だ楽しいと思うかどうかは自分の心の持ち方次第で決まる
【今月のひとこと】【2019年12月】 私たちは「生きている」と思いがちですが、実はさまざまなご縁によって、「生かされている」私たちであります。多くのご縁によって支えられ、生かされていることに感謝しつつ、一日一日を精一杯…
【今月のひとこと】【2020年3月】 どのような出会いや別れにも、必ず意味があります。自分自身がその出会いや別れにどのように向き合い、受け止めるかで、その意味は大きく変わっていきます。
目の前の出来事を「当たり前のことである」と考えていると、驚きや感動、感謝の心は決して生まれません。一方で「さまざまなご縁によるおかげさまであり有難いことである」と考えることができると、周囲に対する感謝の心が生まれてきます…
受けた幸せを誰かに分け与えることで、生かし合い、支え合う。私たちのいのちは幸せを分け合うことによって連綿と繋がってきたといっても過言ではありません。 相手からいただいた幸せは、相手に返していくだけでなく、周りの方へ分け与…
「何をやっても上手くいかないなぁ、どうしてこうなるのかなぁ」そんな風に感じることってたまにありますよね。そんな時は仏さまの前に座ってゆっくりしてみませんか?「私があなたとともに歩んでいるから、安心してまた一緒に歩いていこ…
【今月のひとこと】【2019年07月】 「亡くなった人が迷わないように」と、ご自宅のお仏壇やお寺の本堂で手を合わせる人がいます。先人を偲ぶ心は大切ですが、根拠もなく「亡き人が迷っている」と考えるのは、自分自身が迷いの中に…
「慶」は、音読みで「けい」、訓読みで「よろこぶ」と読みます。2023(令和5)年に、“親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要”が修行されることから、みなさまとご一緒にこのご慶事をよろこびたいと願い、「慶」の一字…
本年、2024年・令和6年に、築地本願寺では、 「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗 800年慶讃法要」が修行されます。 殊に、親鸞聖人が 5 2 歳のときに、「顕浄土真実教行証文類」(教行信証)を著されたことをもって、…
「他力本願」と聞くと、他人任せのように感じませんか? 阿弥陀さまは、この私の苦悩をすべて引き受けようと誓われた仏さまです。 そのことに気づかせようと、南無阿弥陀仏という声の仏となり、私が申すお念仏を通して様々にはた…
このお言葉は、親鸞聖人が門弟に宛てたお手紙の一節です。私たちは、死という先の見えない不安を抱えて苦悩します。 その不安を除くため、私が往くべき安らかな世界をご用意くださったのが、阿弥陀という仏さまです。 今生での別れは…
【今月のひとこと】【2019年08月】 「いのちは大切である」といいますが、実際には「自分に関わりのあるいのちだけが大切である」と生きているのが私たちです。「自分に関わりのないいのち」や、「自分に害をなすいのち」は粗末に…
【今月のひとこと】【2022年6月】 私たちは普段、草花や虫を何気なく「雑草」や「害虫」と呼んでいますが、これは人間の都合によるものです。草や虫に限らず、私たちは自分の都合や価値観で全てを分別して生きています。阿弥陀様は…
皆さんがお寺にお参りされるようになったきっかけは、過去、仏さまに一緒に手を合わせた方が側にいたからではないでしょうか。また亡くなられた方がご縁となっているからではないでしょうか。 お念仏の教えは決して私の独りよがりではな…
何一つ持たずに生まれてきた私たちですが、時には欲しかったものが手に入ったとしても、またさらに次のものが欲しいと願ってしまうこともあります。 仏教ではそうした心の動きは、私たち一人一人が煩悩を持っているから起こると説きます…
仏教ではすべてのものは永遠ではなく、移り変わっていくものだと説かれています。私たちもまた移り変わっていく存在です。 そう思うと、今私がここにいることが奇跡的であるように思えてきます。 たまには温かい飲み物でも飲みながら深…
自分だけが正しい、相手が間違っている、そんな考え方に執われてしまうと、相手との対立が生まれてしまうものです。仏さまは、正しさや間違いへの執われを離れたものごとのありのままのすがたを示し、対立のない穏やかで心地よい世界…
仏教といえばお葬式や法事など、なんとなく「死」をイメージしてしまうのではないでしょうか。しかし、本来仏教は生きている私たちのための教えです。実は、仏さまが説かれた教えには私たちの人生を輝かせてくださるエッセンスが満ち溢れ…
諸行無常とは、すべてのものはうつり変わりゆく、という仏教の真理を表す言葉のひとつです。私たちは今のままでいたい、今あるものを失いたくない、などと、変化を拒む気持ちを持ってしまいがちです。 お釈迦様は、その執着が苦しみを生…
他力本願という言葉は、しばしば「自分の望みを他人まかせにする」という意味で用いられます。 しかし、本来は他人の力ではなく、「あなたの苦悩は私が引き受ける、まかせよ」という阿弥陀さまの願い(本願)を表す言葉です。 生き…