大切な人たちが離れていきました。

一昨年から今まで、大切な人たちが周りから離れていきました。祖父、祖母は亡くなり、彼氏と別れ、親友は転職。心の支えだった人も仕事を辞めて遠方の実家へと帰ってしまいました。私自身も仲の良い同期がいる現場を離れ、はじめて会う人ばかりの部署へと異動しました。

この一連の流れは何か意味があってのことなんでしょうか。こんなにも人が離れていくので悪いことでもしたのかと自問自答しています。もしわかれば教えてください。これ以上大切な人が離れていくのは辛いです。(20代・女性)

戸見嶋 淳昭(とみしま じゅんしょう)
40代 山口県出身
いつかまた出会える

出会いと別れというのは私たちが生きていく中で必ず経験することだと思います。それは自分の行いがいいから、悪いからではなく、いつかは必ず訪れることだと思います。ご自身にとってはそれがたまたま続いてしまったということではないでしょうか。大切な人が離れていくのはつらいです。私もそうです。やはり、別れは辛いです。親しい友人、近しい親族、多くの人と、別れを繰り返してきました。

浄土真宗ではいつかまた出会える世界ということを教えてくださっています。それは、いのち終えたときに浄土という仏さまの世界で再び会えますよという教えです。別れがあったとしても、再びどこかで会うことができる、それは生きている間のこの世界かもしれないですし、もしかしたらいのち終えた後かもしれません。ただ、必ず出会えることができる。それを思いながら日々を過ごしてみてはどうでしょう。新しい出会いが待っているかもしれませんよ。

青木 永生(あおき ようせい)
30代 栃木県出身
かけがえのない大切な一瞬を

大切な方とお別れしなければならないのはお辛いですよね。。。
仏様はこの世界には「愛するものといつかは必ず別れていかなければならない苦しみがある」と教えてくださいました。
確かにそっと目を閉じて考えてみると、どんなに大切な人でも、30歳、40歳、・・・100歳、110歳・・・。と、いつまでも一緒にいることができないのが人間だと気づかされます。
「別れなければならない」と聞くと悲観的に聞こえますが、逆にだからこそ、毎日の人との出会いが、実は二度とは訪れることのないかけがえのない大切な一瞬だという事に私自身気づかされハッとします。
あなたが自問自答しているひと時や、大切な方のことを思い返しているひと時、また初めて出会う人と過ごすひと時はそれ自身にとても意味があることだと思うし、意味を持ってくることだと思います。

光森 宏明(みつもり こうみょう)
20代 兵庫県出身
別れの先に続く道がある

悲しい別れというのは、いつか来るものであると分かってはいながら、なかなか受け入れることが出来ないご縁ですよね。仏教を説かれたお釈迦様は、人生は苦であり、愛する者とは必ず別れなければいけない苦しみがあるとお説きになられています。そして、そのような世界であると、正しくとらえることが、心の安寧につながると教えてくださいました。しかし私たちはやはり、なかなか受け入れることが出来ません。そんな私たちは、ずっとこのような悲しみ、苦しみを抱えていかなければならないのでしょうか。
浄土真宗の み教え を聞かせていただく以上はそうではありません。お釈迦様は、正しく物事を見ることが出来ず、苦しみ悲しみを抱えた私たちが、ひとり残らず救われる道があると教えてくださっています。
私自身、浄土真宗の み教え を聞かせていただいておっても、なかなか死別や離縁に対して、穏やかに向き合うことが出来ません。しかし別れで終わってしまうだけではなく、別れの先に続く道があることを聞かせていただくと、少し落ち着くことが出来る気がしています。

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