解離性同一性障害を抱えている知人

悩みというより質問に近いのですが…
この間解離性同一性障害(多重人格)を抱えている知人の話を聞いてから、どうしても考えてしまうことがあります。
「自我の分裂」という主題は「まっぷたつの子爵」や「ジキルとハイド」のような文学作品でも度々扱われていますし、誰でも心の中に他人を住まわせているものと思います。
でも心の中に他人が生み出され、さらにそれが意思を持って動き出すような現象は、仏教的に読み解くことができるのでしょうか?(20代・男性)

青木 永生
30代 栃木県出身
どちらも含めてその人

仏教的にも色んな意見があるように思います。
私たちは「縁」によって善いふるまいもするし、悪いふるまいもするのが人間だと教えられます。心はコロコロと常に変化するし、環境の変化や人間関係、他人の言動によって一喜一憂しながら、また、ふるまいを変えながら生きているのが人間だと教わります。
ご質問にあるような「心の中の他人」というのも、第三者の目から見ればそれが本人なのか「心の中の他人」なのか、というのは実は知る由が無いように思います。本人だろうが「心の中の他人」だろうが、どちらも含めてその人であり、大切なその人だと受け止めるのが仏教の価値観です。

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