猜疑心が強いせいで辛い思いをしています。

猜疑心が強いせいで辛い思いをしています。子供のころ大きな失望を経験してしまったせいで自分の意思や知り合い、果ては尊敬している人ですら疑いの目で見てしまうことがあります。
それで自己嫌悪に陥ってしまうのですが、気にしすぎでしょうか。(20代・男性)

藤井 諦伸(ふじい たいしん)
20代 埼玉県出身
人は嘘をつく

私も「この人の言うことは本当なんだろうか」と思うことがあります。疑いの心、というのは少なからず誰しも持っているものだと感じています。

浄土真宗では疑いの心というのは「疑心」と言ったりもします。ここでの疑心というのは、「私を仏に成らせて、お浄土へ生まれさせる」という阿弥陀如来のお誓いへの疑いの心です。疑心をもってしまうというのは、自分という我が中心にあるからだとお聞かせいただきます。

このように仏さまの言われてることすら疑いの心を持ってしまう私たちですから、まして人の言うことはもっと信じることはできないじゃないか、そう考えてしまうこともあります。ですが、そんな時は疑いの心で聞くのではなく、「何でこの人はこんなことを言うんだろう」と、自分の中で良い方向に向かっていけるような心で聞いてみるのはどうでしょうか。

人は嘘をつく、地球上で唯一の生き物だと聞いたことがあります。それは、社会を成立させる上で、あえて優しい嘘をつくこともあるからだと思います。嘘の中の真実、真実の中の嘘に、惑わされることもありますが、仏さまだけは嘘をつきません。何かあれば、仏さまならどうするだろうか、と考えてみるのも、心が安定する方法の一つなのではないかなと思います。自身の猜疑心と向き合っていただくきっかけに、お参りをされてみたり、法話などを聞いてみるのもいいのかなと思いました。

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