若い時の苦労は、買ってでもしろ。という言葉があります。そして、嫌な事をして、生きてきた人は、罰が必ずくるとずっと子供の頃から信じて生きてきました。70も過ぎるとそれはないと思います。正しく生きても罰はあり、反対でも、受けずに終わる人がいます。なぜでしょう?(70代以上)
それは人間の世界に生まれたからです。仏教では私たちは迷いの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を生まれ変わり、死に変わりして、今、人間の世界に生を受けていると考えます。
この世界に本当の意味での正しさは何一つありません。自分が正しいと思っていることも、本当は誰かの犠牲の上に成り立っていることかもしれません。生きとし生けるものすべての影響を見通した上での正しさ、というのは私たち人間には到底得ることはできません。しかし、その中で少しでも正しく、清く、世のため人のためにありたいと願って生きていくのが、仏教徒の生き様だと思っています。
『仏説無量寿経』という経典に「仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」(たとえこの身を諸々の困難の中に置こうとも、決してあきらめることなく後悔しません)という、仏さまのご修行時代の決意を述べられたお言葉が出てきます。 私なんかは、理不尽なことにぶち当たるとすぐにくじけて人のせいにして落ち込んでばかりですが、仏さまって違うんですよね。すごいなぁと思います。
このお言葉に突き動かされて、日々を精一杯送らせていただく。そしてこの世界の縁が尽きた後は、阿弥陀さまのおはたらきにより迷いの世界から抜け出して、仏さまの世界、清らかな心と優しい言葉、正しい行いのみがあるお浄土の世界に至らせていただく、これが浄土真宗の仏道です。
答えになっているかは分かりませんが、少しでもお役に立てばと思います。