私は不妊治療を経て赤ちゃんを妊娠、出産しました。その後、結婚してすぐに妊娠できる友人、授かり婚をする友人が多く、自分が欠陥品であるような、すぐに授かれる他人が羨ましいような気持ちになってしまいます。結果的に、わたしも友人も授かってるのでありがたいことであるのは重々承知しているのですが、、
この他人を羨んでしまう気持ちはどう整理していけばよいのでしょうか。(20代・女性)
お釈迦様は仏説無量寿経という経典に、次のようなことをお説きくださっています。
『田があれば田に悩み、家があれば家に悩む。牛や馬などの家畜類や使用人、また金銭や衣食、日常の品々に至るまで、あればあるで憂え悩む。…中略…たまたま一つが得られると他の一つが欠け、これがあればあれがないというありさまで、つまりはすべてを取りそろえたいと思う。そうしてやっとこれらのものがみなそろったと思っても、すぐにまた消え失せてしまう』
このように物に憂い、事柄に憂い、人に憂いながら生きるのが私たちの姿です。あれもほしい、これもほしい、もっとほしい、の思いは自分のいのちつきるまで無くなることは無いでしょう。そして、自分の中身を見つめれば見つめるほど、自分の欠点が目につき、気持ちの整理がつかないように思います。私たちはそんな煩悩を抱えながら生きていくしかありません。
そんな私たちに阿弥陀様という仏さまは、煩悩を無くせ、清廉潔白な人間になれとはおっしゃいません。他人と比較することもなく、私の一番人に見られたくない醜い部分を知り抜いた上で、それでもなお「あなたが一番大切だ」と私の人生をご一緒くださるのが阿弥陀様です。そんな間違いのない支えがあるから、私たちは毎日を自信をもって歩めるように思っています。
最後になりましたが、少なくとも今、あなたのお子さんにとってあなたは、百点満点のお母さんなのではないでしょうか。今あるものを大切に丁寧に目を向けていくと少し見方が変わってくるように思いますよ。
子どもを授かるということは、数ある多くのいのちの中から、子どもが「このお母さんが良い」と選び取って授かるものであるということを聴いたことがあります。いのちを授かるということは偶然の出逢いでもあり、必然の出逢いでもあろうかと思います。
ご自身が不妊治療をされてお子さまを授かったということ、これもお子さまが「まだこの世に出てくる時ではない」と見定めて、やっとあなたの元に産まれてきてくれたのかもしれませんよ。すぐに妊娠できる人、授かり婚をされる人はお子さまとの出会いが早いだけで、ただそれだけだと思います。人を羨んでしまう気持ちは人なればこそ、必ず持っているものです。自分にないものに対してないものねだりの部分が大きいかと思います。羨む気持ちがあってもいいんです。人なんですから。でも、ご自身も人から羨まれる人であることも心にお持ちくださいね。
子どもと共に親も成長するとよく言います。お子さまもあなたも一緒に成長されることを願っています。