家族をやめてもいいですか?

私には姉妹がいます。幼い頃から家族の事情が大きかったので、妹の学費や塾、英会話などの費用は、私が働いたお金で通わせてきました。私も妹も結婚して、それぞれに家庭があります。結婚してもたまに援助をしていましたが、妹は、私がお金を払うのが当たり前だと思っていたようです。

事情が事情なだけ、誰にも話せるような話ではなく、ただ黙って20年以上もの間、それ以外にも、家族を支え守ってきました。ある日、家族会議をしたんですが、事情をどう伝えてよいか悩んでいた私の姿が、妹にはふざけたように見えていたのか、私に向かって指差して「謝れ!」と怒鳴ってきました。あまりの突然なことでパニックになり、精神崩壊しました。

他にも、その現場には家族もいましたが、誰も止めてくれず、人間不信というか、家族不信になり、誰の事も信じることが難しくなりました。こちらの話を聞かず、一方的に言われました。話の内容は「謝れ」ではなく、常識的に「ありがとう」という方向になっていた問題です。家族のために、黙ってがまんしてきた時間を後悔しています。家族に関われば、自分が傷付く事がわかり、距離を置いています。

一番の原因は、親自身が子を利用してきたことが原因問題のはずですが……出来れば、関わりを絶ちたいくらいです。出来れば、顔も見たくありません。家族ですから、いつまでもどこまでも、家族なんです。

私も善人ではありません。ですが、家族をやめてもいいですか?(40代・女性)

安邉 泰教(あべ たいきょう)
40代 山口県出身
「ありがとう」の反対は「当たり前」

ご家族のためを思い、長年妹さんへ経済的な支援をされてきたことについて、ただただ頭が下がります。また妹さんが、どのようなお気持ちで謝れと言われたのかは想像がつきませんが、感謝されるならまだしも逆に怒鳴られてしまうことで、大変辛い思いをされたのですね。
「ありがとう」の反対の言葉は「当たり前」です。はじめのうちは感謝の気持ちがあったのかもしれませんが、長い間援助が続いていくうちに「ありがとう」から「当たり前」に心変わりされたのかもしれません。
浄土真宗には、報恩感謝のお念仏という味わい方があります。自分の及ばないところで大きく包みこんでくださる仏さまがおられ、またそのご恩に気づかされ、はかりしれない仏さまのご恩は決してかえすことはできないけれど、私たちはただそのご恩をよろこび、お念仏するといただくのです。
人から受けた恩は忘れやすいものです。でもふと立ち止まって、今日までの自分があるのは多くの人に支えられ、育ててもらったのだなと視点を変えることで、これまでと違う考え方や生き方につながっていくのではないでしょうか。

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