つい、自分と周りの友達を比べてしまいます

「自分のほうが勉強ができる・できない」「友達が多い・少ない」などと、些細な事でも誰かと自分を比べて、ホッとしたり、落ち込んだりしている気がします。他人と自分を比較しないで生きていける方法ってあるんでしょうか? (10代・女性)

のんのん
ありません。が、向きを変えることはできます。

お坊さんの間でもありますね。「あの人のお経はありがたく聞こえるよなあ、音の取り方は下手なのに」「うちの本堂、あと一間広かったらいいんだけどなあ。でも隣の寺よりは広いか」……。「みんなちがってみんないい」って言いますが、それであっさり割り切れたら悩まなくて済みますよね。やはり、比較しないで生きることのできる人はいないんじゃないでしょうか。
谷川俊太郎さんの詩を紹介します。「生きているってこういうことなんださびしい自分 不安な自分 でも何かを持っている自分 もどかしい自分 そういう自分をみつめる自分」(『子どもたちの遺言』)。
あなたは、問いに恵まれる豊かさをお持ちなんだと思います。時には豊かさが辛さになることもありますが、肯定されるあなたの特徴なのだと思いますよ

YK
比較の中でモヤモヤするのは、人間として自然な姿。

自分と他人を区別・比較することのない存在や世界を、仏教では「仏さま」「浄土」と説きます。残念ながら私たちは「仏さま」ではありませんし、この世界は「浄土」でもありません。私たちは他人と自分とを比較して一喜一憂をする「凡夫」であり、この世界は比べ合いの中で苦悩する「堪忍土」です。比較の中でモヤモヤするのは自然な人間として自然な姿ではないでしょうか。
自分の力で解決することは難しいかもしれません。しかし、「あなたを他人と比較して優劣をつけることはしません」「ありのままのあなたが大切です」というまなざしに出会うことで、比較の中でも安心して生きていくことができます。そんなまなざしを私たちに向けてくださる仏さまが「阿弥陀如来」という仏さまです。

お松
絶対ではないものを絶対視するのに無理がある。

「比較しないでいられる方法」をお尋ねですが、比較すること自体はいけないことではありません。それによって「ホッとしたり落ち込んだり」するのも当然です。むしろそれは楽しみではありませんか。
それが苦しみになるのは、比較したひとつひとつを絶対視して他に敷延してしまうときです。しかし成績も、容姿も、人望も、いまここでの評価は、別の環境では簡単に変わります。絶対ではないものを絶対視するところに無理があるのです。「比較しないでいられる」ことをめざすのではなく、比較をしながらそれが一面でしかないと常にお考えください。

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