本願寺の絵像の携行本尊をお迎えしました

先日、本願寺の絵像の携行本尊をお迎えしましたが、これは開眼供養してありますか?

光森 宏明(みつもり こうみょう)
20代 兵庫県出身
開眼供養は浄土真宗では行うことができません。

携行本尊をお迎えになったとのこと、おめでとうございます。「ご本尊」という心の拠り所をお迎えになることは大変尊く、質問者さまにとっても大きな転換点だったのではないかと思います。
ご質問についてですが、ご期待されておられるような開眼供養や魂入れといったことは浄土真宗では行うことが出来ません。なぜなら、誰もが阿弥陀如来の本願力により往生し、仏と成らせていただく側だからです。この世にいる私たちが何かに魂を込めたり、自分の功徳を分け与えたり、仏のような不可思議な所業を行うことは出来ません。「ということは今回お迎えいただいたご本尊は価値がないのか」というと、そうではありません。
浄土真宗では、お参りする仏像であったり、絵像であったり名号(文字)を「方便法身」であるととらえます。親鸞聖人は著書の『唯信鈔文意』にて、『法身はいろもなし、かたちもましまさず』とお示しくださっています。これは「本来我々が本尊とする阿弥陀如来とは、色も形もなく、名を呼ぶことも存在を感じることも、理解することも出来ない真理である」ということを意味しています。そんな理解することができない我々にもにもわかるように具体的に現れてくださった名前や姿かたちのことを「方便法身」といいます。
「何とか受け取ってほしい」「そんな人々も救いたい」という仏さまの願い、慈悲の心から現れてくださったお姿なのです。
そんなお姿が、今まさにあなたの目の前にいてくださるというのは、阿弥陀さまの願いがあなたのもとに届いているからに他なりません。
どうぞこれからも携行本尊を大事になさってください。

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