先日、80代の母が亡くなりました

先日、80代の母が亡くなりました。ここ数年間は意識もはっきりしなかったものの、コロナ禍で見舞いにも行けないなか、病院で看取られることなく亡くなっていました。もっと、母のために何かできたのではないか思うとと悔しいです。この気持ちとどう向き合うべきか。そして、私は母のために何ができるのかを教えてください。(60代女性)

S/A
大切な人と月日を重ねられたことに変わりはない

感染防止のための措置とはいえ、お見舞いもできず、そばにいてあげられずにお亡くなりになったとのこと、悔しい思いが残るのは当然です。
私も妻を8年前に亡くしましたが生前にしてあげられることが、もっとあったのではないかという思いにとらわれました。思い返せば大切に思うがゆえの辛さであり後悔であったと思います。
できなかったことを悔やむ気持ちが起こるのは当然ですが、これまで大切な人とともに月日を重ねられたという事実は変わりありません。お母様にとってもあなたにとっても掛け替えのない尊い時間であったことだと思うのですが……。あなたの辛さはお母様との日々を戴き直すスタートなのだと思います。

三日坊主
一人で悩まず、誰かに話してみましょう

ご相談者さまは、複雑な思いを一人で抱えていらっしゃることが推察されます。「母のために」が2回出てきますが、1回目は生前のお母さまのために、また2回目は死後のお母さまのために。何かできないかと思う子の気持ちは、察するに余りあります。また、その間には、お見舞いに行けなかったやるせない気持ちに自分がどう向き合うべきか、問うていらっしゃいます。ひとつ言えることは、一人で抱え込まないで、お母さまのことを知る方とお話ししてみることです。これから法事の機会がありましたら、親類縁者や知人の方々とお話ししてみてください。きっと誰もあなたを責めたりしません。みんなで偲んで、肩の荷を下ろしても良いのではないですか。

酒行僧
私たちは亡き方に見守られています

「何かできたのではないか」は、お母さんを思う心があるから出てくるものです。そんな気持ちのある娘さんを持って、お母さんは幸せだと思います。
さて、人は亡くなっても、関係は終わりません。関係のあり方が変わるのです。気づくことができなくても、亡き方は私たちをご覧になっています。あなたのお母さんも、あなたのことを見守っています。あなたがどんな暮らしをしていればお母さんが喜んでくれるか、それを考えてください。それを心がけることは、お母さんのためにも、あなたご自身のためにもなります。

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