なぜ23年目が節目なのでしょうか?

今度亡くなった父の23回忌の法要をします。なぜ23年が節目なのでしょうか?そしてどんな心持ちで法要に臨めばいいのでしょうか?もうだいぶ過去の事なので形式的な感じになってしまい、正直面倒くさいなという気持ちが湧いてきてしまっています。(50代・女性)

菊池 悠機(きくち ゆうき)
30代 熊本県出身
法要は参列する私たちのためにある

年忌の法要は一周忌以降「3」と「7」の数字をなぞるようにお勤めするのが慣習になっています。そのルーツを辿ると、もともと仏教の思想ではなく、中国の三魂七魄や十王信仰などの思想、および室町時代頃に日本で考えられた十三仏信仰に基づいている、と伺っています。数字に意味を持たせて大事にすることは、世界中で見られ、仏教においてもお釈迦さまは、お生まれになった際に7歩歩いた、という伝承があります。
こだわり、と言ってしまえばそれまでですが、浄土真宗においてはご法要は「亡き人をご縁として仏さまの教えを聞かせていただく」大切なご縁と捉えています。言い換えれば、法要は参列する私たちのためにあるのです。
仏さまの教えの中には、永遠不滅のものはない「諸行無常の理」という教えもあります。亡きお父さまを偲びつつ、今生きている「私の命」について考えてみる機会としてみてはいかがでしょうか。

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