南無阿弥陀仏と念仏を唱えることで極楽浄土に行けるってどういう生活のことを指すのでしょうか。

最近罪悪感や希死念慮みたいなものがあって、過去の嫌なことなど落ち込むようなことや死後のことばかり考えてしまいます。こんなつらい気持ちで生きなきゃいけない世の中でも一生懸命生きて死んだ後には極楽浄土に行きたいと考えます。

そこで質問なのですが、南無阿弥陀仏と念仏を唱えることで極楽浄土に行けるってどういう生活のことを指すのでしょうか。死ぬ間際に南無阿弥陀仏って唱えるの人前だと正直羞恥心があって無理そうなんですけど、常に心の中に南無阿弥陀仏を保ち続けて生きていくって理解でいいんですかね…。若いから毎日お経唱えられない…、家族に大丈夫かって思われそうで。心の中で唱えるだけでもいいですか??

変な質問ですみません。回答いただけると嬉しいです。(女性)

柳田 直道(やなぎだ じきどう)
30代 山口県出身
「南無阿弥陀仏」は「ありがとう」

ご相談を投稿いただきありがとうございます。
辛い気持ちを抱えながら生きるのは大変ですし落ち込みますよね。全然変な質問ではないですよ。
浄土真宗のご本尊(仏)さまは、阿弥陀如来さまと申します。この阿弥陀如来さまは「すべての人々を必ず救う(仏にする)」と誓われた仏さまで、そこに私たちの行いや心持ちを問うことはありません。なので、「極楽浄土に生まれるために、お念仏をしなさい」と命令するような仏さまではありません。
「南無阿弥陀仏」は、「ありがとう」に似ています。「ありがとう」は、何かをしてもらう前に伝えるものではなく、誰かに何かをしてもらったからこそ、感謝の思いとして出てくる言葉ですよね。
つまり、私たちが「南無阿弥陀仏」と唱えることによって極楽浄土に行ける(仏になる)のではなく、極楽浄土へ行けることが決まっているからこそ、阿弥陀如来さまへの感謝の言葉として「南無阿弥陀仏」が私たちの口から出てくるのです。
ご質問いただいた念仏を唱える生活とは、感謝の日々を送ることだと私は受け取っています。阿弥陀如来さまへの「ありがとう」という気持ちは、口に出さなくとも、心の中で大切に持っていただけたらとても尊いことだと思います。

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