仏教における”悪人正機”とはどのような意味でしょうか。少し理解がしにくいため、教えていただけると助かります。よろしくお願いいたします。(50代・男性)
菊池 悠機(きくち ゆうき)
30代 熊本県出身
私自身も「悪人」
“悪人正機“は「悪人」が阿弥陀如来という仏さまの救いの一番の対象になっている、ということです。
私たちがふだん使う”善悪”は、法律や道徳など、人間社会の視点が基準になっているかと思います。しかし、救いは仏さまが主体となるので、仏さまの視点が基準になります。
仏さまから見ると、私たちはもれなく本当の善を行うことができない存在(四諦・八正道を修めることができない=凡夫)です。そこで「悪人こそが救いの目当てである」と、仏さまは考えられました。そして全ての人が救われるために48の願いを立てられ、それを成就され、今まさに私に寄り添ってくださっていると伺います。
大事なのは、このように聞かせていただくこの私自身も救いの範疇にある=悪人、と知ることだと思います。今生きているありのままの私を受け入れてくださっていることに感謝しつつ、日々の生活を精一杯送りたいものです。