なぜ、人には執着というものがあるのでしょうか?

なぜ、人には執着というものがあるのでしょうか?

青木 永生(あおき ようせい)
30代 栃木県出身
執着にとらわれる私たちだからこそ

究極的に自分を見つめた時に「自分さえ良ければいい」という、自分への執着があるからだと仏教は教えてくれています。
人はどうあがいても「自分が可愛い」という心を手放すことができないのです。末那識(まなしき)と言われる心です。
もし何事にもとらわれることなく生きていくことができるならば、それはもう仏さまの境地です。
人はそれができないから自らを苦しめ、また他者を苦しめるのです。

しかし、自分への執着を持っている私なのだと、その事実を仏教に知らされるから、
他者のために生きていこうとか、相手の思いを理解しようとか、世のため人のために生きていこうという
方向性が導かれるのだと思います。執着にとらわれる私たちだからこそ仏教の教えを聞かせていただきましょう。

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