昨年亡くなった、大好きだった行きつけのスナックのお姉さん。かれこれ15年お付き合いをしていました。
自分にとっては、お姉さんで有り、母親の様な存在でした。
今だに、お姉さんの死を受け入れません。どうしたら良いか教えてください。
毎日、お経を書いています。それでも、お姉さんの死を受け入れません。
心にぽっかり穴が空いたような、喪失感を感じていることだろうとお察しいたします。
お姉さんという存在が、それだけ心の拠り所になっていたことだと思うんです。
前々から病気だと教えてもらっていたとしても、不慮の事故による急な別れだとしても、
死を受け入れるって、簡単にできることではないです。
少し厳しく聞こえるかもしれませんが、人は生まれた以上必ず死ななければなりません。
有史以来、どんな偉人でも英雄と呼ばれた人でも最後は死からは逃れませんでした。
仏教を説き広められたお釈迦様は、「生老病死」をお示しになりました。
「人は生まれた以上、老いていく、病気にもなる、最後には死ななければならない、それが私たち人間なんです」
と、言われております。どれだけ素晴らしく偉大な人でも、最後は「死」からは逃げられないですね。
質問者様が現在行っている写経は大変すばらしいことです。
想いがあってのことだと察しますが、それだけでは受け入れる、というのは難しいのかなと思います。
どうぞ、お聴聞してみてはどうでしょうか。浄土真宗の第八代門主蓮如上人は、「仏法は聴聞に極まる。」と
お言葉を残しております。阿弥陀さまは、お念仏申すものを必ず救いの中におさめとり、そして救いの中にあるものを見捨てることはございません。その阿弥陀さまのお心を聴かせていただく中に、やがて「死」が悲しみのまま終わるものではない、と思える日が来るかもしれません。
築地本願寺では、毎朝の晨朝布教に加え、金曜日~日曜日の10時30分~、木曜日~日曜日13時~、木曜日~日曜日13時~それぞれ常例布教を行っております。Youtubeチャンネルでも配信しておりますので、ご都合ある際に是非ご視聴ください。