歎異抄七章には、

歎異抄7章には、念仏者には、あらゆる神様が、ひれふして敬服すると、書かれていますから、イエスキリストも念仏者にひれふして敬服しますよね?イエスキリストも念仏者に敬服するなら、阿弥陀如来に対する信仰でイエスキリストに救われるという信仰を持つ人が居ても構わないでしょうか?

戸見嶋 淳昭(とみしま じゅんしょう)
40代 山口県出身
各個人がどのような信仰を持とうとも、それは個人の自由であり、私どもが構う、構わないと言えることではないと考えます。

仰っている、歎異抄第7条の条文では「善神」との記述であり、その意味をたどると、仏教徒を守る天部の神々となるので、イエスキリストは「神」としての意味合いが違うと思われます。そのうえで、信仰についてですが、そもそも信教の自由がうたわれる日本国ですから、各個人がどのような信仰を持とうとも、それは個人の自由であり、私どもが構う、構わないと言えることではないと考えます。

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